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水戸地方裁判所 昭和51年(行ウ)7号 判決 1984年4月24日

茨城県水戸市泉町三の一の三六

岩村福徳こと

原告

許福徳

右訴訟代理人弁護士

安藤寿朗

松山正

有賀功

同県同市北見町一番一七号

被告

水戸税務署長

吉光慶郎

右指定代理人

高須要子

琵琶坂義勝

橋本忠雄

都筑幸雄

荒蒔洋一郎

大山元一

戸川忠志

佐藤文夫

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、昭和四九年一二月一六日付で原告に対しなしたところの、原告の昭和四六年分及び昭和四七年分の所得税についての更正処分のうち、昭和四六年分につき総所得金額一六四万円を超える部分及び昭和四七年分につき総所得金額一六四万三〇〇〇円を超える部分に対する各更正処分並びに、右各年分に対する過少申告加算税賦課決定処分をいずれも取り消

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二原告の請求原因

一  原告は、昭和四六年当時、水戸市宮町一丁目二番一号において、軽食喫茶「さらん」を、同市泉町三丁目一番三六号において、レストラン喫茶「パレス」を、昭和四七年四月からは、右二店舗に加え、右「パレス」付近において「キッチンパレス」を経営していた(以下一括して「本件事業」という。)者であるが、本件事業に係る昭和四六年分及び昭和四七年分の所得税につき、左記順号1欄記載のとおり確定申告したところ、被告は同表順号2欄記載のとおり、更正(以下「本件各更正処分」という。)及び過少申告加算税賦課決定処分(以下「本件各賦課決定処分」という。)を行なった。原告は右各処分を不服として被告に対する異議申立及び国税不服審判所長に対する不服審査請求に及んだが、いずれも棄却された。その経緯は左記のとおりである。

1  昭和四六年分

<省略>

2  昭和四七年分

<省略>

二  しかしながら、被告の前記各更正処分及び賦課決定処分は、いずれも著しく事実に反し原告の所得を過大に認定した不当かつ違法な処分であるので取り消されるべきである。

よって、原告は被告に対し請求の趣旨記載のとおり、本件各更正処分及び各賦課決定処分の取消しを求める。

第三請求原因に対する被告の認否

一  請求原因一はすべて認める。

二  同二は争う。

第四被告の主張

一  本件各更正処分及び各賦課決定処分に至る経緯

1  被告は、原告の提出した昭和四六年分及び昭和四七年分の確定申告書を審理したところ、(一)業況が好況であるにもかかわらず原告の各年分の申告所得額がその事業規模に比して極めて低調であり、また同業者のそれに比較しても低調であること、(二)原告に対して昭和四二年にその事業の概況等について調査して以来調査を行なっていなかったこと、(三)原告は水戸市駅南街区四ノ一先宅地に総額約二億円で福徳ビルを建設中であったが、その建設資金をねん出できる資力を有することからすれば、原告の申告額は過少であること等の事実が判明するに至ったので、原告に対する税務調査を開始することとした。

2  被告の担当係官は、昭和四七年一〇月一二日から翌四八年四月二五日までの間に五回にわたり原告に対し帳簿書類の提示及び所得金額の計算基礎についての説明を求めたにもかかわらず原告はこれに応ぜず、漸く三回目及び四回目の原告方への臨場に際し、昭和四五年分ないし昭和四七年分の書類を段ボール箱に入れたまま提示するに至った。

しかしながら右書類はいずれも仕入及び経費に関する納品書や領収書等のみであり、売上に関する書類は全く含まれていなかったうえ、右納品書及び領収書等もその一部を欠落しておりこれのみでは仕入金額及び必要経費の算出さえも不可能であった。

3  そこで被告としては、売上金額については被告の調査によって判明した品目別の仕入数量等を基礎にしてこれを算出し、仕入金額及び必要経費については原告から提示された納品書及び領収書等を基とし、これらの書類が欠落している部分については反面調査を行なうなどしてこれを実額によりは握したうえ、原告の昭和四六、四七年分の所得金額を所得税法一五六条により推計して算出した。

二  昭和四六年分の課税根拠について

原告の昭和四六年分の総所得金額(そのすべてが事業所得金額である。)の算定根拠は、次表(以下「昭和四六年分総所得内訳表」という。)の被告主張額欄記載のとおりである。

<省略>

<省略>

(注) 原告の不服審査時における請求額とは、原告が昭和五〇年六月一二日付けで国税不服審判所長に提出した申告所得税の審査請求書に添付した収支計算書の記載金額である(昭和四七年分についても同じ。)。

1  収入(売上)金額(以下、単に「収入金額」という。)について

原告は、昭和四六年分所得税について、収入金額に関する資料を本件各更正処分の調査時においてもまた異議審理の段階においても被告に提出しなかったので、被告は、次の算式により収入金額を七二一六万〇八五三円と算出した。

収入(売上)原価 平均収入割合 収入金額

20,665,212円×349・19%=72,160,853円

(一) 収入(売上)原価(以下、単に「収入原価」という。) 二〇六六万五二一二円

(1) 収入原価とは、仕入金額に期首棚卸高を加算し期末棚卸高を控除した金額をいうのであるが、本件においては原告が調査に非協力であったこと及び原告の営む喫茶、軽飲食業においては期首、期末の在庫量の変動が僅少であることなどから以下のとおり算出した仕入金額をもって収入原価の額とした。

(2) 仕入金額 二〇六六万五二一二円

原告の昭和四六年分の仕入金額の内訳は、次表(以下「昭和四六年分仕入内訳表」という。)のとおりである。

なお、次表の仕入金額のうちには、原告及びその家族の自家消費額並びに本件事業の従業員消費額のうちの飯米消費額がそれぞれ含まれていると認められるので、後記(3)、(4)で各算出した自家消費額及び従業員消費額(飯米のみ)を控除した残額をもって、同年分の仕入金額とした。

<省略>

<省略>

(注)(一) 原告は、昭和四六年当時、水戸市南町三丁目五番二一号水府食品株式会社(以下「水府食品」という。)から主としてアイスクリームを、同町二丁目一番地五五山崎孝夫から主として野菜、果物を、同市五軒町二丁目四番一四号明治牛乳五軒町販売所小沼美代子(以下「明治牛乳五軒町販売所」という。)から主として牛乳を、同市泉町一丁目七番一七号有限会社大沢商店(以下「大沢商店」という。)から主として鶏卵を、同市宮町一丁目二番二二号有限会社照山食糧品店(以下「照山食糧品店」という。)から主として酒類を、それぞれ年間を通じて仕入れていたが、水府食品においては同年九月分について、山崎孝夫においてはパレス店の同月分並びにさらん店の同年五月分及び九月分について、明治牛乳五軒町販売所においてはパレス店の同月分及びさらん店の同年七月分について、大沢商店においてはさらん店の同年一〇月分について、照山食糧品店においては同年二月分ないし四月分について、それぞれ原告に対する売上げの記録を保存しておらず、また、原告の営むパレス店及びさらん店とも右各月分の各仕入金額をは握する記録を保存していないところ、本件事業の取扱商品目及び昭和四六、七年分の右水府食品外四件からの仕入れの状況等に照らすと、右アイスクリーム等の各商品の仕入金額は各月ほぼ平均している。

(二) そこで、被告は、次の各算式により、原告の右水府食品外四件からの右各店舗ごとの昭和四六年中の仕入金額のうち記録の存在する月分の仕入金額の月平均額を算出し、同金額を基礎として右各月分の仕入金額を推計し、同年中の仕入金額を算出した。

(水府食品からの仕入金額)

パレス店

11か月分の仕入金額 月平均仕入金額

264,240円÷11か月=24,021円

9月分の仕入金額 年間仕入金額

264,240円+24,021円=288,261円

さらん店

11か月分の仕入金額 月平均仕入金額

268,820円÷11か月=24,438円

9月分の仕入金額 年間仕入金額

268,820円+24,438円=293,258円

パレス店 さらん店 合計

288,261円+293,258円=581,519円

(山崎孝夫からの仕入金額)

パレス店

11か月分の仕入金額 月平均仕入金額

1,069,124円÷11か月=97,193円

9月分の仕入金額 年間仕入金額

1,069,124円+97,193円=1,166,317円

さらん店

10か月分の仕入金額 月平均仕入金額

283,145円÷10か月=28,314円

5月と9月の仕入金額

28,314円×2か月=56,628円

年間仕入金額

283,145円+56,628円=339,773円

パレス店 さらん店 合計

1,166,317円+339,773円=1,506,090円

(明治牛乳五軒町販売所からの仕入金額)

パレス店

11か月分の仕入金額 月平均仕入金額

560,995円÷11か月=50,999円

9月分の仕入金額 年間仕入金額

560,995円+50,999円=611,994円

さらん店

11か月分の仕入金額 月平均仕入額

712,875円÷11か月=64,806円

7月分の仕入金額 年間仕入金額

712,875円+64,806円=777,681円

パレス店 さらん店 合計

611,994円+777,681円=1,389,675円

(大沢商店からの仕入金額)

さらん店

11か月分の仕入金額 月平均仕入額

106,200円÷11か月=9,654円

10か月分の仕入金額 年間仕入金額

106,200円+9,654円=115,854円

さらん店 パレス店 合計

115,854円+149,515円=265,369円

(照山食糧品店からの仕入金額)

9か月分の仕入金額 月平均仕入金額

416,083円÷9か月=46,231円

2~4月分の仕入金額

46,231円×3か月=138,693円

46年中の仕入金額

416,083円+138,693円=554,776円

(3) 自家消費額 六七万五八一六円

(一) 昭和四六年当時、原告と同居する親族は原告の長女岩村君子こと許清任のみであり、右両名の食事のほとんどは本件事業のために仕入れた商品によって賄われていると認められるところ、原告は昭和四六年分の自家消費額に関する資料を全く保存していなかった。

(二) そこで、被告は昭和四六年分の自家消費額を「昭和四七年茨城県統計年鑑」(乙第四二号証)の地域別家計支出(消費支出)により県北A地域(水戸市を含む)の同年分の一人当たり月額食料費二万八一五九円を基礎にして、次のとおり算出した。

28,159円×2人×12か月=675,816円

(4) 従業員消費額(飯米のみ) 四一万二九八四円

昭和四六年分の飯米の従業員消費量に関する記録が存しなかったので、昭和四七年分の記録(乙第二二号証)に基づき、飯米の従業員消費量は年間一万八一〇〇合、飯米一キログラムは六・六六合とし、飯米一キログラムの単価を一五二円として、次のとおり、四一万二九八四円と算出した。

18,100合÷6・66合=2,717Kg

152円×2,717Kg=412,984円

なお、右飯米の従業員消費額については、商品の材料として仕入れた飯米を使用していることが認められたので、右のとおり仕入原価からこれを控除するとともに、右金額を現物給与として、給料賃金に加算することとする(昭和四七年分も同じ。)。

また、飯米以外の従業員消費額(総菜等)については、その領収書が仕入金額に関する領収書とは別に存在したことが認められたこと及びその金額は仕入金額に含まれていないことから、仕入金額から控除することなく、単に現物給与として給料賃金に加算することとした。

(二) 収入割合 三四九・一九パーセント

収入割合とは仕入金額に対する収入金額の割合をいい(以下昭和四七年分において同じ。)、本件では以下のとおり抽出した同業者について算出した同業者の平均収入割合三四九・一九パーセントを採用した。その計算内容は次のとおりである。

(1) 同業者の抽出及び基礎係数

原告の住所地(納税地)を所轄する水戸税務署管内において原告と同種の事業を営んでいる個人事業者で、次のいずれの条件をも充たす者(以下「同業者」という場合は原則としてこの者をいう。ただし第五の一を除く。)を九件抽出し、右各同業者についてそれぞれ収入割合を算出し、これを平均収入割合算出のための基礎係数とした。その内容は、別表1、同2のとおりである。

イ 青色申告者で昭和四六年分青色申告決算書(所得税法一四九条に規定する添付書類)を提出している者であること。

ロ 昭和四六年中において原告と同種の事業を暦年を通じて継続して営んでいる事業者で年の中途において開廃業、転業等業態の変更のない者であること。

ハ 右イ及びロに該当する者で、税務署長より更正を受け、これに対し不服申立てを行い、係争中の者でないこと。

(2) 平均収入割合を求める計算

右(1)により抽出した別表1の基礎係数のうちに、異例な係数が含まれているとこれを単に算術平均して求めた平均値は適正な平均値とはいえないので、統計学上一般に認められている方式を用いて異例値を除外して平均値を求めることにした。

すなわち、まず基礎係数の算術平均を求め、各基礎係数と算術平均との開差、いわゆる偏差を算出し、次にこの偏差を自乗したものを算術平均して得た数値を平方に開いて差益率の標準偏差を求め、これに統計学上一般に用いられている倍数一・五を乗じて限界値を求め、更により適正な平均値を得るための有効な係数を求めるために係数の上限及び下限を求めて、その範囲内にある係数のみに基づいて平均値を計算した。

なお、標準偏差(九七・六九%)の計算は別表2の1、限界値の計算は同表の2及び平均値(三四九・一九%)の計算は同表の3のとおりである。

2 通信費について

原告は昭和四六年分の通信費に関する領収書を全く保存していなかったので、被告が水戸電報電話局長に対して反面調査を行なったところ、昭和四六年分については帳簿書類が無く不明であったが、昭和四七年四月ないし一二月分の電話料金二八万二三七四円の支払の事実が確認されたので次の算式により右九か月分の支払電話料金の月平均額を算出し、同金額をもって、昭和四六年分の電話料金の月平均額とし、右月平均額を基として昭和四六年分の通信費を三七万六五〇〇円と算出した。

なお、原告の営む事実に鑑みると、昭和四六年分の料金も同四七年分とほぼ同額と認められたので昭和四七年分を採用したものである。

9か月分の支払電話料金 支払電話料金の月平均額

282,374円÷9か月=31,375円

昭和46年分の通信費の額

31,375円×12か月=376,500円

3 給料賃金について

原告は昭和四六年分の給料賃金の記録を全く保存していなかったので、被告は、次の算式により、後記三の3の昭和四七年分の給料賃金の額(現物給与を除く。)一五八九万二二九〇円に、「茨城県統計年鑑」に基づき茨城県における事業規模三〇人未満の企業について算出した昭和四七年の平均月額定期給与額五万四三六九円(乙第四三号証)と同四六年の平均月額定期給与額四万七七〇五円(乙第四二号証)との割合〇・八七七四を乗じて昭和四六年分の給料賃金の額(現物給与を除く)を一三九四万三八九五円と算出した。

なお、原告は昭和四七年四月から新たに軽食店キッチンパレスの経営を開始していることからみて、従業員数は昭和四七年に比し、同四六年の方が少ないと推認されるが、被告は、原告に有利になるように、昭和四七年分の給料賃金水準を採用して昭和四六年分の給料賃金の額を算出したものである。

更に、被告は、右金額のほか、前記従業員消費額(飯米のみ)の四一万二九八四円及び左記飯米以外の従業員消費額七八万八六七六円の合計額一二〇万一六六〇円を現物給与として給料賃金額に算入した。

すなわち、原告が原告の従業員に提供する食事のうち、米飯を除く総菜については商品の調理のために仕入れた材料とは別に購入していることが認められたところ、右総菜の購入に関する昭和四六年分の資料は五か月分(一月、三月、五月、一一月、一二月)に過ぎなかったので、被告は、右五か月分の従業員消費額を基に、次のとおり飯米以外の昭和四六年分の従業員消費額七八万八六七六円を算出した。

4 支払利息について

原告が、昭和四六年中に必要経費として支払った利息の額は三六九万三二三一円であり、その内訳は、次のとおりである。

<省略>

<省略>

三  昭和四七年分の課税根拠について

原告の昭和四七年分の総所得金額の算定根拠は、次表(以下「昭和四七年分総所得内訳表」という。)の被告主張額欄記載のとおりである。

<省略>

<省略>

<省略>

1  収入金額について

原告は、昭和四七年分所得税について、収入金額に関する資料を本件各更正処分の調査時においてもまた異議審理の段階においても被告に提出しなかったので、被告は、次の算式により収入金額を九二四七万二七六五円と算出した。

収入原価 平均収入割合 収入金額

23,515,605円×393・24%=92,472,765円

(一) 収入原価 二三五一万五六〇五円

(1) 昭和四六年分と同じ事由のため、以下のとおり算出した仕入金額をもって収入原価の額とした。

(2) 仕入金額 二三五一万五六〇五円

原告の昭和四七年中の仕入金額の内訳は、次表(以下「昭和四七年分仕入内訳表」という。)のとおりである。

なお、次表の仕入金額のうちには、原告及びその家族の自家消費額並びに本件事業の従業員消費額のうちの飯米消費額がそれぞれ含まれていると認められるので、後記(3)(4)で算出した自家消費額及び従業員消費額(飯米のみ)を控除した残額をもって、同年分の仕入金額とした。

<省略>

<省略>

注 注

(注)(一) 原告は、昭和四七年当時、水戸市緑町一丁目二番地水戸地方食糧販売企業組合(以下「水戸地方食糧販売」という。)から主として米を、水府食品から主としてアイスクリームを、大沢商店から主として鶏卵を、それぞれ年間を通じて仕入れていたが、水戸地方食糧販売においてはさらん店の同年一月、四月、六月、九月、一二月の計五か月分について、火災のため原告に対する右各月分の売上げの記録を焼失しており、水府食品においてはパレス店の同年二月分について、大沢商店においてはパレス店の同年一月分ないし四月分、六月分及び九月分ないし一二月分について、それぞれ原告に対する売上げの記録を保存しておらず、また、パレス店及びさらん店とも右各月分の各仕入金額をは握する記録を保存していないところ、本件事業の取扱商品目及び昭和四六、七年分の右水戸地方食糧販売外二件からの仕入れの状況等に照らすと、右米等の各商品の仕入金額は各月ほぼ平均している。

(二) そこで、被告は、右の記録の存在しない月分については、昭和四六年分の水府食品等からの仕入金額の算出と同じ方法により、次の各算式によって昭和四七年中の右水戸地方食糧販売外二件からの仕入金額を算出した。

(水戸地方食糧販売からの仕入金額)

さらん店

7か月分の仕入金額 月平均仕入金額

559,890円÷7か月=79,984円

1月分、4月分、6月分、9月分 12月分の仕入金額

79,984円×5か月=399,920円

年間仕入金額

559,890円+399,920円=959,810円

さらん店 パレス店 合計

959,810円+1,380,950円=2,340,760円

(水府食品からの仕入金額)

パレス店

11か月分の仕入金額 月平均仕入金額

251,870円÷11か月=22,897円

2月分の仕入金額 年間仕入金額

251,870円+22,897円=274,767円

さらん店 パレス店 キッチンパレス店 合計

233,720円+274,767円+53,800円=562,287円

(大沢商店からの仕入金額)

パレス店

5月分、7月分 8月分の仕入金額 月平均仕入金額

62,400円÷3か月=20,800円

1月分~4月分、6月分 9月分~12月分の仕入金額

20,800円×9か月=187,200円

パレス店の47年中の仕入金額

62,400円+187,200円=249,600円

さらん店

2月分~5月分、7月分、8月分の仕入金額 仕入金額の月平均額

57,600円÷6か月=9,600円

1月分、6月分、9月分~12月分の仕入金額

9,600円×6か月=57,600円

さらん店の47年中の仕入金額

57,600円+57,600円=115,200円

パレス店 さらん店 47年中の仕入金額

249,600円+115,200円=364,800円

(3) 自家消費額 六八万六四七二円

昭和四六年分と同じ事由及び方法(二の1の(一)の(3))により、被告は、昭和四七年分の自家消費額を「昭和四八年茨城県統計年鑑」(乙第四三号証)の地域別家計支出(消費支出)により県北A地域(水戸市を含む)の昭和四七年分の一人当たり月額食料費二万八六〇三円を基礎にして、次のとおり算出した。

28,603円×2人×12か月=686,472円

(4) 従業員消費額(飯米のみ) 四二万一一三五円

前記二の1の(一)の(4)のように、昭和四七年分の飯米の従業員消費量は年間一万八一〇〇合、飯米一キログラムは六・六六合であって、かつ飯米一キログラムの昭和四七年当時の平均単価は一五五円(昭和四七年中におけるパレス店の飯米の仕入金額一三八万〇八五〇円を仕入数量八八八〇キログラムで除したもの。)であると認められたので、被告は、右数値を基に、次のとおり昭和四七年分の飯米の従業員消費額四二万一一三五円を算出した。

18,100合÷6・66合=2,717Kg

155円×2,717Kg=421,135円

(二) 収入割合 三九三・二四パーセント

昭和四六年分と同様の方法により算出した同業者の平均収入割合三九三・二四パーセントを採用した。その計算内容は、次のとおりである。

(1) 同業者の抽出及び基礎係数

昭和四六年分(二の1の(二)の(1))と同様の抽出条件により抽出した同業者一一件の平均収入割合を基礎係数とした。その内容は別表3、同4のとおりである。

(2) 平均収入割合を求める計算

昭和四六年分(二の1の(二)の(2))と同様の方法によって計算した。

なお、標準偏差(九二・三四%)の計算は別表4の1限界値の計算は同表の2及び平均値(三九三・二四%)の計算は同表の3のとおりである。

2 通信費について

昭和四六年分と同じ事由及び方法(二の2)により水戸電報電話局長に対する反面調査によって判明した昭和四七年四月ないし一二月分の電話料金を基礎にして次の算式により一月分ないし三月分の支払電話料金を推計し、昭和四七年分の通信費の額を三七万六四九九円と算出した。

4月分~12月分の支払電話料金 支払電話料金の月平均額

282,374円÷9か月=31,375円

1月分~3月分の支払電話料金

31,375円×3か月=94,125円

282,374円+94,125円=376,499円

3 給料賃金について

原告が、昭和四七年中に従業員に支払った給料賃金(現物給与を含む)の合計額は一七四六万五七七七円であって、その内訳及び計算根拠は、次のとおりである。

被告が、昭和四九年一〇月に被告所部の高畑係官及び根本係官(以下「源泉担当係官」という。)に原告の源泉所得税の調査をさせた際、原告は右源泉担当係官に四七年分の各従業員ごとの給料の明細表(以下「給料明細表」という。)を提出した。

被告が、右給料明細表を検討したところ、一般に軽食喫茶業においては残業のあることが認められ、また臨時雇人も数名雇用し、かつ、賞与の支給もあるのが常態と認められるにもかかわらず、右給料明細表には残業手当、臨時雇人費及び賞与が含まれていないと認められたので、被告は次により算出した各金額を給料明細表の金額に加算すると共に現物給与の額をも加算して、原告の昭和四七年分の給料賃金の額を算出した。

(一) 基本給 七三四万五二一六円

給料明細表に記載されていた昭和四七年分の各従業員ごとの給料の合計金額である。

(二) 残業手当 二八一万七六二四円

原告は、昭和四七年分の従業員の残業手当に関する記録を保存していなかったので、被告は、原告が保存していた昭和四八年二月分の出勤簿及び同月分の基本給の支給実績を基礎にして同月分の残業手当の額を求め、次に右残業手当の額の右基本給の額に対する割合を求め、(一)の基本給の額に右割合を乗じて昭和四七年分の残業手当の額を、次のとおり算出した。

原告が、被告に提出した昭和四八年二月分の出勤簿によれば「さらん」、「パレス」、「キッチンパレス」の各店に勤務する従業員は二二名であり、同月の残業総時間数が一三六四・五時間、うち早朝、深夜の残業時間が一九七時間であった。そこで、被告は給料明細表による同月分の従業員の基本給の合計額七六万一四〇〇円を従業員数二二名で除して従業員一人当たりの平均月額基本給を求め、次に右平均月額基本給を一二倍した年間平均基本給を一週間四八時間労働とした場合の年間労働時間(48時間×1年間の週数52=2,496時間)二四九六時間で除した一時間当たりの基本給を求め、右基本給に、早朝・深夜の残業の場合は一五〇パーセントを、それ以外の残業(以下「普通残業」という。)の場合は一二五パーセントを乗じてそれぞれの一時間当たりの残業手当の額を求め、早朝・深夜の残業については右一時間当たりの残業手当の額に残業時間一九七時間を、普通残業については右一時間当たりの残業手当の額に一一六七・五時間(一三六四・五時間-一九七時間)を乗じて、各別の残業手当の額を求め、その合計額二九万二〇九〇円を同月分の基本給七六万一四〇〇円で除して基本給に対する残業手当の割合(三八・三六パーセント)を求め、(一)の基本給七三四万五二一六円に右割合を乗じて昭和四七年分の残業手当の額を算出した。

(三) 臨時雇人費 三二二万〇一四二円

原告は、昭和四七年分の臨時雇人費に関する記録を保存していなかったので、被告は、原告が保存していた昭和四八年二月分の出勤簿及び同月分の基本給の支給実績を基として同月分の臨時雇人費を求め、次に右臨時雇人費の右基本給に対する割合を求め、(一)の基本給に右割合を乗じて昭和四七年分の臨時雇人費を、次のとおり算出した。

原告が、被告に提出した昭和四八年二月分の出勤簿によれば、同月分の臨時雇人の勤務時間数は一七八六時間、うち残業が一七八・五時間であり、原告の申立てによれば臨時雇人の時給は一八〇円であった。そこで、被告は勤務時間内の時給一八〇円、残業の場合は次の算式によって計算した時給二四九円を基礎にしてこれに、時間内勤務と残業の区分による勤務時間数をそれぞれ乗じて各別の臨時雇人費の額を求め、その合計額三三万三七九六円を同月分の基本給七六万一四〇〇円で除して基本給に対する臨時雇人費の割合(四三・八四%)を求め、(一)の基本給七三四万五二一六円に右割合を乗じて、昭和四七年分の臨時雇人費の額を算出した。

(四) 賞与 二五〇万九三〇八円

「昭和四八年茨城県統計年鑑」によれば、茨城県における卸売業・小売業を営む従業員が三〇人未満の事業所において昭和四七年中に支給した賞与の額は一二万五五八五円であり、右賞与の額はその賞与の計算の基となった同年分の平均給与月額五万五七九八円に対して二・二五か月分に相当する(125,585円÷55,798円=2・25)。そこで被告は、前述の基本給・残業手当及び臨時雇人費の合計額を基とした給料月額に二・二五か月分を乗じて、次のとおり算出した。

基本給 残業手当・臨時雇人費

7,345,216円+6,037,766円=13,382,982円

給料月額

13,382,982円÷12か月=1,115,248円

47年分賞与の額

1,115,248円×2・25か月=2,509,308円

(五) 現物給与 一五六万三四八七円

前記(1の(一)の(4))飯米の従業員消費額四二万一一三五円と、左記飯米以外の従業員消費額一一四万二三五二円との合計額一五六万三四八七円である。

前記(二の3)のように、原告が、原告の従業員に提供する食事のうち、米飯を除く総菜については、商品の調理のために仕入れした材料とは別に購入していた事実が認められたところ、右従業員に対する総菜の購入に関する昭和四七年分の資料は六か月分(一月、二月、四月、七月、八月、一〇月)五七万一一八一円に過ぎなかったので、被告は、右六か月分の従業員消費額を基に次のとおり、飯米以外の昭和四七年分の従業員消費額一一四万二三五二円を算出した。

6か月分の従業員の消費額 従業員消費額の月平均額

571,181円÷6か月=95,196円

1年分の従業員消費額

95,196円×12か月=1,142,352円

4 支払利息について

原告が、昭和四七年中に必要経費として支払った利息の額は二八〇万八五六三円であり、その内訳は、次表のとおりである。

<省略>

<省略>

四  本件各更正処分の適法性について

以上のとおり、被告が本訴において主張する原告の総所得金額は昭和四六年分が一六一二万〇八五四円、同四七年が二九九七万九五〇〇円であるところ、本件各更正処分における原告の総所得金額は、同四六年分が八六九万六六六七円、同四七年分が七六八万三一四六円であって、各年分とも右被告主張額の範囲内であるから、被告の本件各更正処分はいずれも適法である。

五  本件各賦課決定処分の根拠について

1  昭和四六年分過少申告加算税

被告は、原告が同年分の所得税確定申告を過少に行なっていたので、原告に対し、国税通則法六五条一項の規定により、同年分の更正処分に基づき新たに納付すべき所得税額二四二万九八〇〇円(二五八万五八〇〇円-一五万六〇〇〇円)に一〇〇分の五の割合を乗じて得た金額一二万一四〇〇円(同法一一八条三項、一一九条四項により、計算の基礎となる税額につき一〇〇〇円未満の端数及び附帯税の確定金額につき一〇〇円未満の端数を各切り捨てる。以下同じ。)に相当する過少申告加算税を賦課決定したものである。

なお、右加算税の計算の基礎となった金額のうちには、同法六五条二項の規定により控除すべき金額はない。

2  昭和四七年分過少申告加算税

昭和四六年分と同様の理由により、被告は、原告に対し、同法六五条一項の規定により、昭和四七年分の更正処分に基づき新たに納付すべき所得税一九二万三九〇〇円(二一〇万〇七〇〇円-一七万六八〇〇円)に一〇〇分の五の割合を乗じて得た金額九万六一〇〇円に相当する過少申告加算税を賦課決定したものである。

なお、右加算税の基礎となった金額のうちには、同条二項の規定により控除すべき金額はない。

第五被告の主張に対する原告の答弁

一  本件各更正処分及び各賦課決定処分に至る経緯についての認否

1  同一の1は不知。ただし、水戸市駅南街区に福徳ビルを約二億円以上をかけて建築したことは認める。

2  同一の2は争う。

被告も自認しているように、原告は、被告の担当係官の求めに応じ、手持していた原票(仕入、経費等の領収書、請求書、支払利息明細書等)のすべてを提示し、取引先等を明示するなどして誠心、誠意調査に協力してきたものである。

3  同一の3は争う。右のように、原告は、被告の調査に応じてきたのであるから、被告が推計によって原告の所得を算出することは許されない。

二  昭和四六年分の課税根拠についての認否及び反論

昭和四六年分総所得内訳表の被告主張額のうち、順号<4>、<5>、<7>ないし<15>、<18>、<21>、<22>、<24>については、被告主張どおりの額であることを認めるが、その余は争う。

1  同二の1の収入金額は争う。

(一) 同(一)の収入原価は争う。

(1) 同(一)の(1)は争う。被告主張のような期首、期末の棚卸高に差がないという経験則は存在しない。

(2) 同(一)の(2)のうち、昭和四六年分仕入内訳表の順号<1>ないし<12>の各仕入金額についてはこれをいずれも認めるが、その余の順号<13>ないし<18>の各仕入金額は争う。右順号<13>ないし<17>の各仕入金額について被告は、伝票の存在しない月について推計によって仕入金額を算出しているが、伝票の存在しない月に、原告がこれを仕入れたことを証するものは何ら存しない。原告が仕入れをしたのは伝票の存する月に限られるのであって、右伝票記載の合計額をもって仕入金額とすべきであり、被告の推計は合理性がなく不当である。

(3) 同(一)の(3)の自家消費額は争う。

(4) 同(一)の(4)の従業員消費額は争う。

原告方においては、原告も含め、従業員達は、店で食べ放題食べることを許されており、朝出勤してきては食事をし、ジュース、コーラ類を飲み、帰る前に又店で食事をしてゆくのであって、住込従業員は三食、その他通勤従業員は二食の食事をしてゆくのが通例である。この従業員達の食事を制限したことはなく、又記録をつけたこともないのであり、被告の計算は見当違いもはなはだしいといわなければならない。原告の計算によれば、低めに見積っても、従業員消費額は二〇一万九九六〇円に達するものと思われる。

(二) 同(二)の収入割合が三四九・一九パーセントであるとの事実は否認する。

被告主張の収入割合は、その算出方法が以下に述べるように著しく不合理であるから採用されるべきではない。すなわち、被告が抽出した同業者のうち、原告の仕入金額に近い二〇〇〇万円台の仕入金額を計上している業者は昭和四六年、昭和四七年ともわずか一業者であり、あとの業者の仕入金額は、原告の仕入金額の半分にも満たず、その多くは仕入金額が一〇〇万円、二〇〇万円という低額である。事業が大きくなればなる程、その無駄が多くなり、収入割合が減少することは経験則上明らかであり、現に、昭和四六年についてみてみると、E業者(仕入金額三二二万五六〇二円)の収入割合は四五五・七七、D業者(仕入金額一四三万一五六六円)の収入割合は三九三・〇五、A業者(仕入金額一〇二万一八四二円)の収入割合は三七七・一六となっていて、異常に高い数値を示しているのである。これに対し、原告の仕入金額に近いH業者(仕入金額二一九〇万九一八九円)の収入割合は三二八・一二であってその差は歴然としている。したがって、昭和四六年分についていうならば、右H業者の収入割合三二八・一二を越える数値は原告に著しく不利なものであって採用されるべきではなく、もし平均値をとるとすれば、OGHIの四業者の平均値を採用すべきである。

なお、被告は、本訴において、仕入原価に平均収入割合を乗じて売上金額を算出しているか、売上金額を推計するには、原処分時において被告が行なったように同業者差益率を用いて算出することもできるのである。被告としては、推計の方法が他にもある場合には、その方法をも採用してあらゆる角度から検討してみるべきであって、前記の同業者差益率を採用することなく、平均収入割合のみによって推計を行なったことはまことに不可解、不合理といわざるをえなない。

また、被告は、原告が提出した仕入原票及び領収証等の資料により原告の昭和四六、四七年分の仕入原価をは握したのであるから、これに本件事業所で売っている品目及び値段をは握し、仕入原価と対比してみれば、本件事業所における差益率が具体的に算出されうるはずなのである。かかる方法により算出した売上額は、まさに本件事業所についての具体的な推計方法であって、より実額に近い合理的なものとなったはずである。右のような方法をとらなかった被告の推計方法は、明らかに不合理であるというべきである。

2  同二の2の通信費は争う。

3  同二の3の給料賃金は、以下のように争う。

被告が、本訴で主張しているところの給料賃金の収入金額に対する割合(以下「賃金割合」という。)は、昭和四六年度で二一パーセント弱、昭和四七年度で一九パーセント強にすぎない。しかし、飲食業のような特別に人間の労働に依存する率の高い業種においては、賃金割合は三分の一というのが常識であって、被告主張の割合は異常に低いものといわなければならない。ちなみに、被告調査にかかる同業者の給料賃金調査表(乙第六四号証)によれば、昭和四六年度の九業者の単純平均の賃金割合は二二・五五パーセントであり、昭和四七年度においては二三・八二パーセントである。また、昭和四六年分において、収入金額、仕入金額とも原告のそれと最も近似しているH業者の賃金割合は二五・八六パーセントであり、昭和四七年分において原告のそれと近似しているD業者の賃金割合は二九・四五パーセントである。

右によって、被告主張の給料賃金の推計方法が如何に合理性を欠いたものであるかが明白であるというべきであるが、右のような不合理な結果を招来するに至ったのは、被告の給料賃金の推計方法が昭和四七年分の給料明細書(乙第四六号証の一ないし一二)なる書面を基にした点にある。しかしながら、乙第四六号証の一ないし一二(以下同号証全部を指すときは単に「乙第四六号証」という。)は、当時の実情を記載した書類ではない。すなわち、右書面は、昭和四七年八月ころに、社会保険事務所に提出するために、原告の従業員である伊藤知子が昭和四六年八月分以降昭和四七年七月分までを、同じく堀江という男子従業員が昭和四七年八月分以降昭和四八年七月分までをそれぞれ作成し、これを合成したものであって、もし、被告に提出するために一年分をまとめて作成したとすれば、そのように途中で作成者を変えることはありえない。そして、同書面を作成するに当たっては、主として社会保険の適用を希望する者にしぼり、これに社会保険の適用を希望しない者二、三名を加えて記載し、賃金支払額も、社会保険料の支払額を低く押えるために実際の支給額よりも低く記載したものであって、その結果、実額とは異なる給料明細書となってしまったのである。このことは、右乙第四六号証には、臨時雇人費の計算がなされておらず、残業手当、賞与についても全く記載がないことからも明らかである。かかる給料明細書が真実に合致しないものであることは明白である。

被告自身も、右乙第四六号証に記載された給料賃金の額があまりにも実情に合致していないことを認めざるをえなかったからこそ、これに、別途推計した臨時雇人費、残業手当、賞与額を加算しているのであるが、このようなつぎはぎ的推計方法に合理性を認めるわけにはいかない。

右のほか、乙第四六号証の記載をもって、従業員の給料賃金額としえないことは、右乙第四六号証によれば、多数のパート(臨時雇人)と認められる者が含まれており、これらの者に対する賃金は当然著しく低額となるにもかかわらず、これらの者をも正規の従業員と認めてこれを基本給として算定していること、乙第四六号証によれば、原告方の従業員数は一四ないし二〇名となるが、このような人員では到底本件事業の三店舗の経営をなしえないこと、乙第四一号証によって認められるところの、昭和四八年二月当時の原告方従業員数四六名及び甲第四号証によって認められるところの昭和四七年一二月当時の原告方従業員四八名に比して、乙第四六号証の右従業員数が著しく小数であることからも明白である。

更にまた、乙第四六号証の記載が信用できないことは、被告担当係官も認めていたものである。それだからこそ、本件各更正処分時においては、被告は、被告方の福田好造係官(以下「福田係官」という。)が原告方に臨店して調査した結果(乙第四一号証)に基づいて、昭和四六年分の給料賃金額を二六三五万五六七五円、昭和四七年分の給料賃金額を二七二〇万三六八八円と認定しているのである。原告は、右金額をもなお不服とするものであるが、それでもなお、被告が本訴において主張しているような机上の計算によって算出した給料賃金額よりもはるかに実額に近いものであり、本件各更正分を担当した被告係官の大内勉も、福田係官の計算方法が最もよいと判断した旨証言しているのである。

なお被告は、原告が昭和四九年六月六日、昭和四七年一月分から同年一二月分までの従業員の給料賃金にかかる源泉所得税について、所得税徴収計算書(乙第五四号証の一)を提出して自主納付しているところ、これの記載が乙第四六号証に記載されている賃金合計額に近似しており、かつ従業員の延人員について一致していることから、乙第四六号証に証拠価値がないとはいえない旨主張する。しかしながら、原告としては、昭和四九年度になって、さかのぼって昭和四七年分の源泉税を納付することになってみれば、既に支給済みの給料についてあらためて従業員から源泉税を控除することはできず、また当時勤務していた従業員が昭和四九年六月当時も引き続いて勤務しているとは限らず、退職してしまっている者もいたのであるから、結局のところ原告自身がその支払いを負担せざるをえず、そうとすれば納付すべき税額を少しでも低く押えたいと考えるのは事の成行きである。そこで、原告としては、前記源泉所得税を納付するに際して、乙第四六号証に基づいて一応の処理をしたものであって、このことによって乙第四六号証が、昭和四七年分の給料賃金額を示しているものとは到底いえないのである。

また乙第四〇号証の昭和四八年二月分の給料明細書についても、これは従業員藤田鷹子が、前記堀江が作成した給料明細書のうちの昭和四八年二月分を転写したにすぎないものであって、これをもって、昭和四八年二月分の給料支払額とすることはできない。かえって、右藤田鷹子の証言によれば、当時従業員の賃金は店舗ごとに給料明細書がまとめて作成されており、この明細表には各従業員の基本給、時間給、残業時間、出勤日数等が記載されていたというのであるから、原告方の給料明細書の体裁は明らかに乙第四〇号証、第四六号証とは異なっていたことがわかるのである。

なお、原告主張の従業員の給料賃金額は、後記六の1のとおりであり、これは甲第四号証に基づくものである。

4  同二の4の支払利息については、被告主張の三六九万三二三一円が特別経費に算入されるべき支払利息であることは認めるが、原告には、右のほか、後記六の2のとおり、特別経費に算入されるべき支払利息が存する。

三  昭和四七年分の課税根拠についての認否及び反論

昭和四七年分総所得内訳表の被告主張額のうち、順号<4>、<5>、<7>ないし<16>、<19>、<22>ないし<24>、<26>、<28>については、被告主張のとおりの額であることは認めるが、その余は争う。

1  同三の1の収入金額は争う。

(一) 同(一)の収入原価は争う。

(1) 同(一)の(1)は争う。

(2) 同(一)の(2)の仕入金額のうち、昭和四七年分仕入内訳表の順号<1>ないし<9>、<11>、<12>、<14>、<15>、<17>、<18>の各仕入金額にについてはこれをいずれも認めるが、その余の順号<10>、<13>、<16>の各仕入金額は争う。その理由は昭和四六年の場合と同じである。

(3) 同(一)の(3)の自家消費額は争う。

(4) 同(一)の(4)の従業員消費額は争う。

(二) 同(二)の収入割合が三九三・二四パーセントであるとの事実は否認する。その理由は、前記のとおりである。

2  同三の2の通信費は争う。

3  同三の3の給料賃金額は争う。その理由は昭和四六年分の場合と同じである。

4  同三の4の支払利息については、被告主張の二八〇万八五六三円が必要経費に算入されるべき支払利息であることは認めるが、原告には、右のほか、後記六の2のとおり、必要経費に算入されるべき支払利息が存在する。

四  本件各更正処分の適法性についての認否

すべて争う。

五  本件各賦課決定処分の根拠についての認否

すべて争う。

六  原告の主張

1  給料賃金について

原告の従業員に対する給料賃金は、甲第四号証(45年度~47年度給料支払明細表)によって明らかなとおり、昭和四六年分は二三二六万六九四〇円であり、昭和四七年分は二八三五万二八二四円である。

これに対し被告は、甲第四号証の真ぴょう性について累々疑問を提出しているが、右甲第四号証には、基本給、日給、時間給、残業時間数、パートの時間給、出勤時間数、本給、残業手当の額、交通費、総額及び控除項目として前払、食費、保険、年金控除額、差引支給額が記載されており、このような細部に至るまで毎月の支給実績を記載することは当時でなければできうることではない。

まず、被告は、甲第四号証が不服申立段階で提出されなかったことを非難するが、これは本件各更正処分においては、被告は人件費として、甲第四号証の額とほぼ同額ないしはそれ以上を認めていたので、あえて甲第四号証を提出する必要性を認めなかったものにすぎない。

また、甲第四号証の記載が乙第四六号証の記載と異なっているが、前述のように、乙第四六号証は、社会保険料を低く押えるために、給料賃金の額、従業員数を低く押えて記帳処理したものであるから、その内容が異なってくるのは当然である。

さらに、甲第四号証において、ゴム印を使用したり、使用しなかったりしたことは、たまたまそのような結果になったにすぎず、このことゆえに真ぴょう性を云々することはあたらない。

当時の従業員については、原告としてはできる限り調査した結果を甲第五号証(従業員の氏名、住所)として提出したのであるが、原告のような零細事業所においては、採用に当たって一に身元調査をするわけではなく、氏名を含め本人の申告どおり受取っているのが実情であって、真実の氏名であるかどうかさえ明らかにつきとめることは当時の情況では無理な相談である。まして、一〇年近くも以前に勤務した従業員の身元を調査することは不可能に近いことであって、右甲第五号証中に不備があることをもって非難することは不当である。

最後に、菊地節子の件については、同人は根本節子と名のったり、岩上節子と名のったりしており、このため甲第四号証の記載名称も異なっているが、同人が聴取書(乙第五七号証)で述べているとおり、昭和四七年一〇月まできちんと記載されているのである。この事実こそ、甲第四号証が、昭和四六、四七年当時の真実の給料明細書であることを物語っているのである。

2  支払利息について

原告には、被告主張の支払利息のほかに、左記表(以下「原告主張の支払利息表」という。)支払利息欄記載の支払利息が存在する。そして、以下のとおり、いずれも原告の必要経費に計上されるべきものである。

<省略>

(一) 順号<1>の借入金は、原告の営業資金として借入れたものである。

原告が昭和四五年七月二〇日ころ、興和開発株式会社(以下「興和」という。)から水戸市釜神町(現在は備前町)の土地一五七・九坪を買ったことは事実であるが、右借入金を右購入代金に充てたことはない。被告提出の乙第五一号証の四は、単なるメモに過ぎず、しかも複数者により合成されたものであって、如何ように作成することも可能であり、到底採用されるべきではない。

また、もし仮に、右借入金が右土地購入代金に充てられたとしても、原告は、飲食業を更に発展させるべく、飲食店開設用地として右土地を購入したものであって、近隣との境界争いが生じたためたまたま新規店舗が開設できないでいるに過ぎない。したがって、そのための支払利息は、将来所得を生ずべき業務について生じた費用というべきであるから、必要経費に該当する。

(二) 順号<2>の借入金は、運転資金として借入れたものである。

仮に、飯島設備工業株式会社(以下「飯島設備」という。)にそのうち四〇〇万円が支払れているとしても、その余の三〇〇万円は本件事業の運転資金に供されたものとみるべきであるから、その支払利息分は必要経費である。

(三) 順号<3>の借入金の返済日と、被告の主張する「乙第四七号証の二八の借入金」の借入年月日が一致していることは認める。そして「乙第四七号証の二八の借入金」の昭和四八年一〇月三一日付残高一六七〇万円が福徳総業株式会社(以下「福徳総業」という。)の第三期決算報告書に記載されていることもそのとおりである。

しかしながら右順号<3>の借入金と「乙第四七号証の二八の借入金」とが借入金の書替えに係るものと認める資料はなく、被告もいうとおり推認であり、その結びつきは証明されていない。

(四) 順号<4>の借入金については、被告は何らの主張をしていないから、その利息が必要経費に算入されることについて異論がないようにうかがえる。

(五) 順号<5>の借入金について、被告はこれが福徳開発株式会社(以下「福徳開発」という。)の資本金と金額が一致していることをもって、右会社の出資金に充てられたものと断定しているが、設立年月日と借入年月日とが近接していることや金額が一致していることだけをもってかかる断定をすることは無理である。

(六) 順号<6>の借入金及び、順号<7>の借入金のうちの五三二〇万円がいずれも原告が東洋地所株式会社(以下「東洋地所」という。)から買入れた土地代金に充当されたのではないかと被告は主張するが、右借入金はいずれも福徳総業の決算書には記載されておらず、何ら根拠がない。

仮に、被告主張のとおりであるとしても、順号<7>の借入金六〇〇〇万円のうちの残りの六八〇万円は原告の本件事業の運転資金に充当されたと考えられるから、その限度では、必要経費として認められるべきである。

(七) 順号<8>の借入金が、福徳総業の決算書に記載されていることは認める。

(八) 順号<9>の借入金は、原告が長年つき合いのあった金融業者から借り入れたもので、これの利息の支払を行なってきたことは同人が作成してくれた書証(甲第一九号証の一ないし七)によって明らかであり、かつその借入金は本件事業が年度末の資金の忙しい時にやむをえず借入れたものであるから、本件事業の必要経費に算入されるべきは当然である。

(九) なお被告は、順号<2>、<3>、<5>、<6>、<7>、<8>の借入利息につき、右はいずれも福徳総業に関連する借入利息であることを理由に本件事業の必要経費に算入することを拒否しているが、右は根本的に誤まった考え方に立つものであって到底容認できない。

すなわち、原告は昭和四七年一月一二日に、水戸市駅南一六二〇の二、一六二一の二、一六二三の二(のちに、水戸市柳町に町名変更。)の土地を、原告個人で東洋地所から代金五八二〇円で購入し、その敷地上にこれまた原告個人で約二億八〇〇〇万円の費用をかけて福徳ビルを建て、内部の造作を行ない什器備品をそなえつけた。原告としては、福徳ビルでの営業は本来個人名義で行なうつもりであり、そのため土地建物の所有名義も、借入金の借入名義もすべて原告個人で行なってきたのである。

しかるに昭和四八年一〇月ころになって、知人からの勧めもあって、福徳ビルの営業に関しては福徳総業で申告することとなり、昭和四七年一一月一日から昭和四八年一〇月三一日までの期間につき初めて申告したものである。

したがって、昭和四七年一〇月三一日以前において、福徳ビルに関し原告個人が既に借入し、支払ってきているところの利息については、福徳総業の決算上は全く計上されておらず、また計上すべきものでもない。それゆえ、昭和四七年一〇月三一日までの福徳ビルに要した借入金利息は、原告個人の必要経費として認容されるべきである。

第六被告の反論

一  収入金額の推計方法の合理性について

原告は、収入金額の推計につき、被告が差益率を用いなかったことは不合理である旨主張する。

しかしながら、原告が主張する右差益率が売上品目及び値段をは握して仕入原価と対比する方法を意味するのであれば後述の如く右方法は技術的にも現実的にも採用されえない方法である。また、いわゆる同業者差益率を意味するのであれば、以下に述べるように、同業者差益率と同業者平均収入割合とは、基本的には何ら異なるものではない。すなわち、同業者差益率とは、同業者の売上総利益(収入金額-収入原価)の収入金額に対する割合をいい、収入金額は、収入原価を(一-差益率)で除する算式によって求められる。これに対し、同業者平均収入割合とは、同業者の収入金額の仕入金額に対する割合をいい、収入金額は、仕入金額に同業者平均収入割合を乗ずる算式によって求められる。したがって、両者の相違する点は、収入原価を基礎とするか仕入金額を基礎とするかに帰する。

収入原価は、前期末棚卸高に当期中の仕入金額を加算し、期末棚卸高を控除する方法によって算出されるところ、前期末棚卸高と期末棚卸高が等しければ、収入原価と仕入金額は等しくなるものである。本件においては、原告の前期末棚卸高及び期末棚卸高が不明であり、かつ、喫茶、軽飲食業においては一般的に期首、期末の在庫量の変動が僅少であることから両者を等しいものとみて、仕入金額を基礎とした同業者平均収入割合によって収入金額を推計したものである。

ちなみに、本訴における昭和四六、四七年分の同業者平均収入割合を同業者差益率に置き替えると、それぞれ七一・三六パーセント、七四・五七パーセントとなる。

昭和46年分

(同業者)平均収入割合 仕入金額 (同業者)平均収入割合 同業者差益率

(349・19%-100%)÷349・19%=71・36%

昭和47年分

(同業者)平均収入割合 仕入金額 (同業者)平均収入割合 同業者差益率

(393・24%-100%)÷393・24%=74・57%

次に、原告は、原告の各営業所における売上品目及び値段をは握し収入原価と対比すれば原告の差益率が算出され、右方法による推計は具体的な推計方法であるから、それによって算出された所得金額は実額に近いものである旨主張する。

しかしながら、各原材料が各売上品目ごとにどれだけ使用されたかが不明であり、中でも野菜、油、卵などのように多品目に使用される原材料については、各売上品目との対応関係が明らかでないこと、仕入先ごとの仕入金額がは握できた場合であっても、各原材料ごとの仕入金額がは握できないこと及び本件においては、仕入金額さえも完全には実額では握できなかったこと、などの理由から、仮に原告の主張する推計方法が合理性があるとしても、技術的、現実的には採用されえないものである。

ところで、納税者の売上金額、差益率、所得率等(以下「所得率等」という。)を推計する方法として、一般的には<1>当該納税者と同一の事業を営む者(以下この項において「同業者」とは、この者をいう。)のうち、当該納税者と業態、事業規模、立地条件等(以下「営業実態等」という。)において個別的類似性の認められる者を抽出して、その所得率等の平均値を採用する方法(以下「同業者率方式」という。)と、<2>管内税務署において青色申告であると白色申告であるとを問わずに、実地調査の対象とした同業者(この場合の同業者は営業実態等の個別、類似性は問わない。)の全数の収支計算資料を悉皆的に収集して、その所得率等の平均値を採用する方法(以下「実調率方式」という。)とがある。

本件の場合、被告は右のいずれの方法にもよらず、既に述べたとおり、原告の店舗の存する税務署管内において青色申告をしている同業者の全数の収支計算資料を悉皆的に収集して、その収入割合の平均値を採用する方法(以下「悉皆調査方式」という。)によった。

その理由として、同業者率方式を採用しなかったのは、本件のように原告が調査に非協力の場合には、原告の営業実態等を正確には握することができないから、個別的類似性の認められる同業者を選定することができないからであり、また、実調率方式を採用しなかったのは、悉皆調査方式に後記で述べる統計的手法を導入したことにより、管内税務署の限定された実地調査対象者のみから資料を収集するよりも、更にそれ以外の同業者を含めた多くの納税者を対象として資料を収集できるので、そこで算出された統計値としての平均値は、信頼性があると認めたからである。

ただ、前記方式により確定した同業者は、悉皆的に抽出したのであるから、これら同業者の営業実態等の相異により、当然収入割合の基礎係数にはばらつきがあり、そのすべての係数が真の平均値を得るための条件に適合しているとは限らない。そこで、被告は既に述べたとおり、真の平均値を得るために統計学上一般に認められている方法、すなわち標準偏差から限界値を求める方法により真の平均値を得るのに有効な係数の上限及び下限を求め、その範囲内にある係数のみに基づいて平均値を計算する方法(以下「統計的手法」という。)を導入し異常値を除外したのである。

したがって、この平均値は原告の営む業種全体の管内税務署における平均値を示しており、この平均値を採用した被告の計算は合理的である。

被告が採用した右のような悉皆調査方式は、実調率方式に類似するものであるが、実調率方式に比し抽出件数が多いこと、統計的手法を導入して異常値を除外していること等から、より合理的な方法というべきである。

およそ推計課税は、正確な所得をは握するのに十分な資料がない場合に、間接的な事実からする蓋然的な考察によって所得の実額に近似する数値をは握することで満足しようとするものである。もとよりなるべく所得の実額に近似すると考えられる合理的な方法によることが望ましいことはいうまでもないが、現実にどのような推計方法を採用しうるかは、一にかかって税務調査における納税者の協力の程度いかんによるものである。しかし、この場合においても、原告が主張するような経営方針、金融事情、経営者の熟練度等外部から客観的に秤量することのできないような事情を考慮することは恣意の介入となり相当ではない。

本件の場合、被告は既に述べたとおりの条件内にある同業者、昭和四六年分にあっては九名、同四七年分にあっては一一名を無作為機械的に抽出したものであるから、被告の恣意の介入する余地はなく、また、これを抽出するについても、場所的には本件事業店舗の存する管内税務署の個人の青色申告者である同業者に限定するなどの条件を設けているのであるから、原告と右同業者との間における業種の同一性、事業規模及び店舗場所の類似性等についても考慮を払ったといえるものである。

二  仕入金額について

原告は、「仕入金額のうち、昭和四六年分仕入内訳表順号<13>ないし<17>及び昭和四七年分仕入内訳表順号<10>、<13>、<16>につき、いずれも伝票等の存在しない月分については仕入れの事実が存在しないというべきであるから、被告において当該月分につき推計により算出したことは不合理である」旨主張する。

しかしながら、本件各更正処分の調査担当者である福田係官が、右処分の調査の際原告から提示を受けた納品書、請求書及び領収書に基づき作成した調査メモ(乙第六二号証の一、第三四号証及び第三七号証)に記載されている株式会社ミカド珈琲商会及び西村パン有限会社に係る各月の仕入金額と、被告が照会文書によって右二社から回答を得た各月の仕入金額(乙第一〇号証及び第一六号証)とをそれぞれ対比してみると、乙第三四号証及び第三七号証では仕入金額の記載されていない月について、乙第一〇号証及び第一六号証には仕入金額が記載されている事実が認められることから、原告が本件各更正処分の調査の際福田係官に提示した納品書、請求書及び領収書は、その保存が良好でなく、欠落があるということができる。したがって、右と同様に福田係官が右処分の調査の際原告から提示を受けた納品書、請求書及び領収書に基づいて作成した水戸地方食糧販売、水府食品、山崎孝夫、明治牛乳五軒町販売所及び大沢商店に係る調査メモ(乙第二二、第二七ないし第二九、第三一、第三四号証)には、右仕入先五件に係るすべての仕入金額が記載されているものとは認められないのである。

観点を変えれば、推計にかかる原告の仕入先六件からの主な仕入品目は、水戸地方食糧販売が米、水府食品がアイスクリーム、山崎孝夫が野菜及び果物、明治牛乳五軒町販売所が牛乳、大沢商店が卵、照山食糧品店が酒及びしょう油であるところ(乙第六二号証の一及び三)、これらの仕入品目は、喫茶、軽飲食業においては、毎日必要欠くべからざる材料であり、休業などの特別の事情がないかぎり年間を通じていわゆる経常的な仕入がなされるものである。このことは、右材料の仕入金額の判明している各月分の仕入金額がほぼ平均している状況によっても裏付けられているばかりか、右仕入先六件からの仕入品目のなかに、いわゆる生鮮食料品である野菜、果物、鶏卵等長期にわたる貯蔵が困難なものがあることに着目すれば、これらの材料を二か月分あるいは数か月分ストックしていたとは到底考えられないことによっても明らかである。

このように原告が仕入先六件から毎日継続して材料を仕入れしていたことは明らかであるから、被告が伝票等の存在しない月分につき仕入先六件に係る仕入金額を推計によって算出したことは全く合理的である。

三  給料賃金について

1  原告は、乙第四〇号証及び第四六号証は、社会保険の適用を受けるため社会保険事務所に提出する資料として作成したものであるので、そこに記載されている従業員の人数及び支払った賃金額は実際のそれと著しく異なっている旨を主張する。

しかしながら、被告は、右乙号証を基礎としながらも、これに原告と同種の事業において一般に支払われていると認められる残業手当、臨時雇人費及び賞与の額を合理的に算出して、これらを加算しているのであるから、原告の右主張をもって、本件推計を不合理であると理由づけることはできない。

2  もっとも、原告は、右給料明細書(乙第四〇号証、第四六号証)は証拠価値のない書類であるとも主張するもののようである。

しかしながら、右給料明細書が被告に提出された経緯は、乙第四〇号証を含む昭和四八年分に係る給料明細書が被告の源泉所得税係に提出されていたことから、昭和四七年分に係る給料明細書も原告において保存されているものと思料して、被告所部の大内及び源泉所得税担当の高畑両係音が、源泉所得税の調査のため必要であるので、給料賃金に関する資料を提出してほしい旨を原告の従業員で給料計算等の経理事務に携っていた藤田鷹子に対し依頼したことに基づき、同人が原告又は原告の娘の指示を受けて、昭和四九年九月ないしは一〇月頃被告所部の源泉所得税担当の根本係官に昭和四七年及び同四八年分の給料明細書を提出したというものである。

そして、右高畑及び根本両係官は、右藤田鷹子から提出を受けた昭和四七年及び同四八年分の給料明細書に基づいて原告の昭和四七年及び同四八年分の源泉所得税を調査、計算し、原告もこの計算結果を是認したというものである。

事実、原告は、昭和四九年六月六日、昭和四七年一月分ないし一二月分の従業員の給料賃金に係る源泉所得税について、所得税徴収高計算書を提出して自主納付しているところ、これによれば、原告は、昭和四七年一月ないし一二月の期間において原告が雇傭していた従業員の延人員は二〇四人であると、また、これら従業員に支払った給料賃金の合計額は七二九万八二一六円であると記載しているのであるが、この延人員数及び給料賃金の合計額は乙第四六号証の昭和四七年分の給料明細書に記載されている従業員の延人員と一致し、また給料賃金の合計額七三四万五二一六円ともほぼ近似した金額であるというものであるから、原告自身被告に提出した給料明細書を正当な資料であると認めて、これに基づいて右所得税徴収高計算書を作成し、源泉所得税を自主納付していたものということができる。なおかつ、昭和四八年当時原告の経理事務員であった藤田鷹子は、乙第四〇号証の昭和四八年二月分の給料明細書について、「私は、昭和四八年二月当時いた従業員の出勤簿からありのままにこの昭和四八年二月分の給料明細書を作成しており、実際の従業員の人数や実際の給料賃金額を圧縮して作成したものではない。」と申し述べているのであってみれば、被告が原告の給料賃金の額を算出するにつき使用した給料明細書が証拠価値のないものであるということは到底いえないこと明らかである。

3  ところで、原告は、原告の昭和四六、四七年分の給料賃金の額は甲第四号証の一ないし五二のとおりであると主張する。

(一) しかしながら、源泉所得税に対する税務調査が終了した後になされた本件各更正処分の調査過程においてはもちろんのこと、その後の異議審理及び審査請求の段階においても提出されていなかったことに鑑みると、甲第四号証は、その後本訴係属後になって作成されたものではないかとの疑いが存するのである。すなわち、当時従業員の給料賃金の計算等の事務を担当していた伊藤知子によれば、甲第四号証は人の目に触れないようにロッカーの中に保管していたが、事務を担当している者はその保管場所を当然知っているはずであるというのであるから、当時右伊藤とともに右事務を担当していた許清任(原告の娘)において、しかも昭和四九年九、一〇月ころの源泉所得税に係る調査並びにその後実施された本件所得税に係る調査に際して被告所部係官から給料賃金をは握しうる資料の提出方の要請を受け、これに対してしかるべき資料の提出のために必要な調査をしたであろうにもかかわらず発見しえなかったものが、その後二年程も経過した後にたまさか発見しえたということは余りにも不自然である。ことに、許清任は、他方では、被告所部の源泉所得税担当官の原告の源泉所得税に対する税務調査の際、甲第四号証に係る書類に基づいて独自に源泉所得税の検討をした旨を述べているところ、これが事実であれば、右源泉所得税に対する税務調査は昭和四九年九、一〇月ころであるから、この時点において許清任は、甲第四号証に係る書類を掌握していたものであるということができるにもかかわらず、その後になされた本件各更正処分の調査、異議審理及び審査請求の過程において右書類を提出しなかった、あるいは提出しえなかったというのは全く理解しえないところである。そして、原告は国税不服審判所長に提出した申告所得税の審査請求書に原告が請求する給料賃金の額として被告が異議決定で認定した給料賃金の額と同じ金額を記載しているのである。

(二) 更に、原告の主張によれば、乙第四〇号証及び第四六号証の給料明細書は社会保険事務所に提出するために作成した書類であるというのである。したがって、少なくともそこに記載されている社会保険料額は社会保険事務所に納入された社会保険料額と一致しているはずである(社会保険事務所に提出された給料明細書の社会保険料額と同事務所に納入されたそれとが一致していなければ、当然同事務所の調査を受ける羽目になる。)から、その限りにおいて、給料明細書に記載されている社会保険料の額は原告が原告の従業員に支払った給与から実際に控除していた社会保険料の額を反映しているものであるといわなければならない。しかるところ、乙第四六号証に係る給料明細書に記載されている社会保険料の額と甲第四号証に係る書類に記載されているそれとを比較検討してみると、乙号証の方には社会保険料が給与から控除される旨記載されているにもかかわらず、甲号証の方にはその旨の記載がされていないものもあれば、反対に乙号証の方には社会保険料が給与から控除される旨記載されていないにもかかわらず、甲号証の方では控除されている旨の記載がされているものもあり、更には乙号証の方に記載されている社会保険料の額と甲号証の方に記載されている社会保険料の額とが異なるものもあるといった具合で、甲号証に係る社会保険料の記載内容につき乙号証のそれと必ずしも一致していない。そして、このくい違いについて、許清任は何ら合理的な理由を説明(証言)することはできなかった。しかも、甲号証に係る社会保険料の記載内容についてのみみても、社会保険料は従業員の基本給が昇給すれば、保険料も高くなるものであるところ、社会保険料の控除額が、高くなっているにもかかわらず、基本給が昇給されていないといった奇妙な状況を呈しているのである。

また、従業員に給与を支給した事跡を記す給与台帳なるものは、いうまでもないことではあるが、従業員の給料賃金に関する基本的な帳簿であるから、その作成は正確かつ慎重に行われ、給料賃金の額の計算及び支払に誤りがないよう作成されるのが通常であるところ、甲第四号証に係る書類によれば、中根信子なる従業員に対しては昭和四七年七月分の給料が重複して支給されている旨が記載されている(甲第四号証の四〇及び四一)。また、許清任は、昭和四六、七年当時給与台帳を作成するに当たり、ゴム印等を作成することはしなかったのでゴム印等を使用することはなかったと証言するところ、実際には、昭和四六年二月分に係るパレスの従業員の甲第四号証の三の書面だけに、「パレス」、「給料」、「残業」、「交通」、「前渡」及び「食費」のゴム印が押捺されているのであり、許清任の右証言が事実であるとすれば、何故に右書面に右ゴム印が押捺しえたのか疑問として残るし、また反対に当時既に右ゴム印を作成していたのであるとするならば、わざわざ作成したゴム印を右書面以外に使用しなかったのか疑問なしとしないのである。

更には、原告の従業員として、原告の経営するパレス店に根本節子という氏名で昭和四二年四月ころから昭和四七年一〇月まで勤務していた菊地節子については、甲第四号証に係る書類には、昭和四七年七月以降同人が原告の従業員として勤務し同人に給料賃金が支給されていた旨の記載がなされていないといった具合に、甲第四号証は事実を反映させてはいないばかりでなく、同人は、甲第四号証に係る書類に記載されている従業員の給料賃金の額について、昭和四七年当時に自分が支給されていた給料賃金の額が甲第四号証に記載されているとおりの金額であったとするならば、それから他の従業員の給料賃金の額を比較すると、他の従業員につき記載されている金額は実際よりかなり高いように思われるとも申述している(乙第五七号証)のである。

(三) 以上のことを総合勘案すると、甲第四号証に係る書類は、原告が現実に支払った賃金の額を証明するについての証拠価値を有しないものといわなければならない。したがって、原告の人件費の実額をは握することはできないのであるから、これを推計により算出することはやむをえないものというべきである。

なお、原告は、甲第四号証に係る書類に記載されている者の住所を甲第五号証として提出し、甲第四号証に係る書類が正確である旨を主張するもののようである。

しかし、被告が右住所全部について住民登録の有無を調査したところ、原告が甲第五号証で住所を明らかにした三四名のうち、住民登録がなされていた者は一九名に過ぎなかった。そこで、甲第五号証に記載されているうちの一人である堀井武之について、甲第五号証に記載されている同人の住所に臨場して居住の有無を調査したところ、同人が右住所に居住していた形跡は全くなかった。そして、原告が甲第五号証で明らかにした者は、甲第四号証の一ないし五二に記載されている者の実数二二九名のうち、わずか二九名に過ぎないことからするならば、甲第四号証に係る書類に記載されている者がすべて実在し、昭和四六年及び同四七年当時原告のところに勤務していた従業員であったと認めることは到底できないといわなければならない。

もっとも、原告は、甲第四号証に係る書類に記載されている者の住所をすべて明らかにすることができなかった理由として、喫茶店、飲食店に勤務する者は、身分を明らかにすることを嫌ったり又一時的なアルバイト学生も含まれているから、その解明が不可能である旨主張するが、接客及び衛生管理を大切にし、しかも現金で商売をする喫茶、飲食業において、経営者が身分、素性も明らかでない者を従業員として雇傭するとは、通常考え難く、原告の主張はあまりにも不自然であるといわなければならない。

4  被告の主張が正当であることは、藤田鷹子の証言によっても明らかである。

(一) 藤田鷹子は、昭和四八年二月分の給料明細書(乙第四〇号証)を作成するにあたり、タイムカード以外にもう一つ何かを資料としたがそれが何であったのか記憶がない旨証言している。

しかし、同人が同号証の書面を作成した理由は、昭和四九年に税務署から源泉所得税を納付されたい旨促された際、原告のもとに昭和四八年分の給料明細書が存在しなかったためこれを作成する必要が生じたことにある。つまり、乙第四〇号証を作成した時、未だ、甲第四号証の一ないし五二の給料明細書は存在せず、したがって、右各甲号証を乙第四〇号証の作成資料としなかったことは明らかである。

ところで、昭和四七年分の給料明細書(乙第四六号証の一ないし一二)に基づいて計算されたと推認しうる所得税徴収高計算書(乙第五四号証の一)は、昭和四九年六月六日に被告に提出されているのであるから、乙第四六号証の一ないし一二は同時点においては既に作成されていたものと認められ、したがって、同年一〇月に原告の源泉所得税を調査したことを契機にして乙第四〇号証が作成された時点には、乙第四六号証の一ないし一二は既に存在していたことになるのである。そして、乙第四〇号証に記載されている従業員氏名及びその基本給額が乙第四六号証の一二のそれとほぼ一致していることをあわせ勘案すると、藤田鷹子は、タイムカード以外に乙第四六号証の一二を資料として乙第四〇号証の基本給額を記載したと推認しうるのである。

(二) 更に、乙第四〇号証は社会保険事務所に提出するために作成された書面ではなく、源泉所得税の資料として税務署に提出するために作成された書面であるから、乙第四〇号証及び第四六号証の一ないし一二が社会保険事務所に提出するために便宜的に作成した書面であるとの原告の主張は到底措信できないこと及び原告自身、乙第四六号証の一ないし一二に基づいて所得税徴収高計算書(乙第五四号証の一)を作成して源泉所得税を自主納付していることをあわせ勘案すれば、乙第四六号証の一二に記載された従業員の基本給額並びにこれを参考に記載されたと強く推認しうる乙第四〇号証の基本給額は、いずれも当時の基本給額を反映しているものということができる。

(三) もっとも、証人藤田鷹子は、本件事業所に勤務して給料明細書を作成する仕事を担当していた当時、店ごとに給料明細書を作成していたところ、それは甲第四号証の一ないし五二の給料明細書と同様の形式であった旨証言している。

しかしながら、同人が給料明細書の作成を担当した時期は、昭和四九年ないし五〇年ころのことであり、また、給料明細書の作成方法からいって、同人が作成あるいはその資料とした給料明細書は昭和四六、四七年分とは何ら関係のない時期のものであることは明らかである。したがって、同証言をもって昭和四六、四七年分に係る給料明細書は、甲第四号証の一ないし五二であると認めることは到底できない。

なお、乙第四〇号証の給料明細書は、前述したとおり昭和四八年分の給料明細書が存在しなかったので税務署に提出するために作成されたものであるが、このように乙第四〇号証の作成の際、昭和四八年分の給料明細書が存在しなかったにもかかわらず、昭和四八年より前の昭和四六、四七年分に係る甲第四号証の一ないし五二(昭和四六年分及び同四七年分)がはたして存在していたのかどうか疑問なしとしないのであり、このことによっても、甲第四号証に係る書類はその後本件訴訟に至ってはじめて作成されたものではないかとの疑義が増幅されるのである。

四  支払利息について

原告は、被告が認定した借入金のほかに、原告主張の支払利息表記載の借入金があり、これらの借入金は本件事業の用に供されたものであるので、その支払利息については本件事業所得の計算上必要経費として控除されるべきものである旨主張する。原告が右のような借入をし、その利息を支払っていることは事実である。しかしながら、原告は、これらの借入金が商売のための借入れであると述べるのみで、その使途及び事業との関連性について何ら具体的に明らかにしていないのであるから、その支払利息を本件事業の必要経費と認めることはできないことはいうまでもない。

のみならず、前記借入金については次のような事情が認められ、これによっても右借入金にかかる支払利息は、必要経費に該当しない。

1  原告は、昭和四五年七月二〇日、興和から水戸市釜神町の土地一五七・九坪を二四〇〇万円で購入し、その代金の一部一四〇〇万円を、右支払利息表の順号<1>(以下順号のみを示す。)の借入金と同一日の昭和四五年一〇月三一日に支払っているところ、原告の供述によれば、右購入代金は、水戸信用金庫(以下「水戸信金」という。)か朝銀茨城信用組合本店(以下「朝銀」という。)からの借入金で返済したというのであるから、右借入金は右土地購入代金に充てられたものと認められる。しかるに、右土地が本件事業の用に供されたことはないのであるから、右借入金に係る支払利息は本件事業の必要経費となるものではない。

2  原告が代表取締役に就任している福徳総業の所有資産の中には、水戸市柳町所在の福徳ビルが含まれており、この福徳ビルに総額約三九四三万円にのぼる空気調整、エレベーター工事が飯島設備により施行されているところ、飯島設備の帳簿によれば右工事代金の一部四〇〇万円が昭和四七年八月三一日に同年九月二日を支払日とする先日付小切手(支払人朝銀)で支払われているのであるが、この小切手代金の支払期日と順号<2>の借入金の借入日とが同一であり、かつ原告本人によれば、右先日付小切手代金四〇〇万円は金融機関から借入した資金によって支払ったこと、また福徳ビルの建設資金は借入金によって支払ったというのであるから、右借入金は福徳総業所有の福徳ビルの建設資金に充てられたものと認められる。

したがって、右借入金にかかる支払利息は原告の本件事業所得の計算上必要経費とはならない。

3  順号<3>の借入金の元本金額及び返済年月日は、後記順号<10>の借入金の元本金額及び借入年月日といずれも一致することから、順号<3>の借入金を返済するために順号<10>の借入がなされたものと推認されるところ、順号<10>の借入金は後述のとおり福徳総業の第三期決算報告書に計上されており、かつ原告自身も、順号<3>の借入金は福徳ビルの工事代金に使われたと思う旨述べているのであるから、順号<3>の借入金は福徳ビルの建設資金に充てられたものと認められる。したがって、右2と同様に、必要経費とはならない。

4  原告は、昭和四六年一月一九日に福徳開発を資本金一〇〇〇万円で設立しているところ、右福徳関発の資本金額は順号<5>の借入金の元本金額と一致し、その設立年月日は順号<5>の借入年月日と近接している。そして、原告は、「福徳開発設立の際の資本金は自分が全額銀行からの借入金によって出資したものであり、順号<5>の借入金がそれに当たるのではないか」と述べているのであるから、順号<5>の借入金が福徳開発の出資金に充てられたことは明らかである。したがって、順号<5>の借入金にかかる支払利息は、本件事業の必要経費ではない。

5  原告は昭和四七年一月一二日に、福徳ビルの敷地となっている前記水戸市柳町の土地を代金五八二〇万円で東洋地所から購入し、その購入代金のうち手付金五〇〇万円を同日支払うこととしているところ、これは順号<6>の借入金の借入年月日及び元本金額といずれも一致しており、また残額五三二〇万円は同年二月二〇日に支払うこととされているところ、これは順号<7>の借入金の借入年月日と一致し、元本金額と近似している。そして、原告本人は、右土地の購入代金は六〇〇〇万円以上であり、その購入代金は順号<7>の借入金によって支払い、また順号<6>の借入金も右土地の購入代金の支払いに充てられたものと思う旨述べているのであるから、順号<6>及び<7>の借入金は右土地の購入代金の支払いに充てられたものと認められる。したがって、右各借入金にかかる支払利息は、本件事業の必要経費ではない。

6  順号<8>の借入金については、昭和四八年一〇月三一日現在の貸付残高四九〇〇万円と昭和四七年一二月一日から昭和四八年一〇月三一日までの利息額四九三万五〇〇〇円が福徳総業の第三期決算報告書(自昭和四七年一一月一日至昭和四八年一〇月三一日)中の借入金内訳書に記載されていることからして、右借入金は福徳総業の営業の用に充てられたものということができるから、原告の本件事業の必要経費とはならない。

7  原告本人の供述によれば、順号<9>の借入金については、借入当時、借入証書は作成しておらず甲第一九号証の一ないし七は本訴提起後に作成したものであるというのであるが、本件借入金に係る債権者は金融業者であるところ、金融業者が借用証書を作成することもせずに一五〇〇万円もの高額の金員を担保もなしに貸し付けるようなことは通常考え難く、あまりにも不自然であるばかりか、原告は、本件各更正処分につき借入金利息の点について不服があるとして審査請求をしていたにもかかわらず、本件借入金の存在についての主張、立証を国税不服審判所長に全くしていなかったことをあわせ勘案すると、本件借入金があったとは認め難い。しかも、被告は、本件事業につき、前述のとおり原告が各々水戸信金本店から昭和四五年七月二〇日借入した一〇〇〇万円及び同年一〇月三〇日に借入した六〇〇万円を本件事業に係る借入金であると既に認定しているのであるから、原告の事業規模、必要経費の支払状況等からみて、右二口の借入金のほかに、これと借入月日が近接する昭和四五年一一月一五日に個人の金融業者から年利率二割四分という高利で、しかも一五〇〇万円という高額の借入をする特段の必要性があったということも認められないのであるから、本件借入金が本件事業の用に充てられたものであるとは到底認め難い。

8  順号<10>の借入金につき、被告は当初、当該借入金の証書貸付元帳(乙第四七号証の二八)に、借入の目的が運転資金と記載されていたことから当該借入金に係る支払利息が本件事業の必要経費に該当するものと判断した。

しかしながら、右証書貸付元帳によれば、昭和四八年一〇月三一日の時点における右借入金の貸付金残高は一六七〇万円であるところ、右貸付金残高は、福徳総業の前記決算報告書中の「借入金および支払利息の内訳書」欄に記載されている「借入先・水信/本店、期末現在高一六、七〇〇、〇〇〇円」と一致する。そして、右法人の借入金の内訳書に記載されている「水信/本店」とは水戸信用本店の略称であり、同店から原告が借入していた借入金のうち、昭和四八年一〇月三一日の時点において借入金残高が一六七〇万円になるものは、当該借入金以外存在しない(甲第一四号証ないし一八号証)ことなどをあわせ考えれば、当該借入金は福徳総業が借入していた乙第四九号証の二に記載されている借入金に係るものであると認めることができる。

そうすると、当該借入金は福徳総業の営業の用に充てられたものということができるから、当該借入金に係る支払利息を本件事業所得の金額の計算上必要経費とすることはできない。

9  以上のように、原告が本訴で主張している借入金の中には、原告の事業につき借り入れたものとは明らかに認めえない借入金が含まれているばかりでなく、右に特に指示した以外の借入金(順号<4>の借入金)についても、その使途が曖昧であり、しかも、原告は、本件各更正処分の調査の過程において、本件事業の用に供した借入金に係る支払利息として右処分の調査担当者である福田係官に提出した資料は、水戸信金本店からの借入金に係る支払利息だけであり、朝銀からの借入金については何ら主張してなかった経緯をあわせ勘案すれば、原告が本訴で主張している借入金を本件事業につき借り入れたものであるということはできない。

第七証拠

証拠については、本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載されているとおりであるので、ここにこれを引用する。

理由

一  請求原因一のとおり本件各更正処分、本件各賦課決定処分等がなされた事実は当事者間に争いがない。

二  証人福田好造の証言(以下「福田証言」という。)(第一回)及び原告本人尋問の結果によれば、被告の主張一の1及び2のとおり、税務調査の端緒及び実施の経緯の事実を認めることができ、右事実によれば、被告が以下のように、推計課税の方法により原告の課税所得金額をは握しようとしたのは、やむをえなかったものであって、その必要性があることは明らかである。

三  そこで、まず、昭和四六年分の所得金額について検討するに、被告主張の同年分の総所得金額の算出内訳のうち、昭和四六年分総所得内訳表の順号<4>、<5>、<7>ないし<15>、<18>、<21>、<22>、<24>につき、いずれも、被告主張額のとおりであることは、当事者間に争いがない。そこで以下においては、争いのある順号<1>の収入金額、同<2>の収入原価、同<6>の通信費、同<19>の給料賃金、同<20>の支払利息につき、順次検討する。

1  収入原価について

(一)  被告の、収入原価の算出方法は、原告の本件事業における仕入金額(一部推計)から、自家消費額(推計)及び従業員消費額のうちの飯米に対する消費額(推計)を控除した額をもって、推計するというものであるところ、福田証言(第一、二回)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和四六、四七年当時、本件事業について棚卸しをしていなかったこと、原告の本件事業の如き飲食関係の営業においては、生鮮食料品を扱うので、買いだめができず、このため、期首棚卸高と期末棚卸高とは通常ほとんど差が生じないこと、昭和四六、四七年当時、原告及びその家族(長女許清任のみ。)は三食とも右仕入に係る材料により食事をとっていたことが認められる。また福田証言(第一、第二回)及び同証原(第一回)により真正に成立したものと認められる乙第二二号証、第四五号証の一ないし一二、第六二号証の一、二によれば、原告方従業員も原告営業の店舗において食事をとっていたこと、しかし、そのうち総菜の仕入に関する領収証等は、他の領収証等とは別個にまとまったまま、原告提出の書類等に含まれていたことが認められる。

もっとも、総菜の仕入に関する領収証等が別個にまとまったまま原告提出の書類等に含まれていたとの点に関する福田証言は、やや明確を欠く点がないではなく、また、証人伊藤知子及び原告本人の各供述中には、従業員は、店舗で売っている商品を食べ放題、飲み放題でとっていたとの部分がある。しかし、福田証言によれば、右のまとまった領収書は、おおむね一か月ごとにホッチキスでとじられていたこと、一番上には、「食事代」と書かれた用紙が貼付してあったこと、福田係官が従業員に尋ねたところ、当該従業員もそれが従業員の食事代の仕入に関する領収証等であると思う旨答えていたこと、綴られている個々の領収証等には豆腐、みそ、納豆等本件事業店舗で販売している食事等には使用されていない材料等の領収証等であることが記載されていたこと、原告の提出した他の領収証等の中には、食事の原材料となるものについての領収証等は存在しなかったこと、福田係官が従業員から聞いたところでは、従業員に対するご飯は、各店で炊くが、総菜等はパレス店で一括して作って各店に運んでいるということであったこと、福田係官が従業員に食事について尋ねた際、従業員が店の品物を食べたり飲んだりしているとかいう話は全く出ていなかったこと、以上の事実が認められ、他方、原告方の従業員が自由に店の品物を飲食できるということは、福田証人の述べる如く、いかにも不自然であることに照らせば、従業員消費額のうち、飯米の消費額のみを仕入金額から控除し、総菜等の消費額については、これを当初から仕入金額に含ませず、その結果、仕入金額から控除することもしないとした被告の算出方法は十分合理的なものとして肯認できる。

そうすると、被告の前記収入原価の算出方法自体は合理的なものとして是認することができ、他に、右判断を左右するに足りる証拠はない。

(二)  仕入金額について

昭和四六年分仕入内訳表のうち、順号<1>ないし<12>の仕入先及び仕入金額は、当事者間に争いがない。

そこで、右順号<13>ないし<17>について検討するに、福田証言(第一回)及び同証言(第一回)により真正に成立したものと認められる乙第二七ないし第三四号証、官署作成部分の成立については当事者間に争いがなく、その余の部分については証人大内勉の証言により真正に成立したものと認められる乙第三五、第三六号証によれば、被告主張の、昭和四六年分仕入内訳表の(注)の(一)の事実を認めることができる。右事実によれば、被告が右(注)の(二)記載の方法及び計算式により、仕入金額を推計したのは、合理的な方法として是認できるのであり、原告の、記録(伝票)の存しない月については仕入自体がなかったものであるとの主張は、到底採用しがたい。右によれば、順号<13>ないし<17>についても、被告主張のとおりであると認められる。

したがって、昭和四六年分の仕入金額は計二一七五万四〇一二円である。

(三)  自家消費額について

昭和四六、四七年当時、原告と同居する親族は長女の許清任のみであったこと、及び右両名は、三食とも営業のための仕入に係る材料により食事をとっていたことは前記1(一)で認定したとおりであり、かつまた、原告が昭和四六年分の自家消費額に関する資料を全く保存していなかったことは弁論の全趣旨により明らかである。

右事実によれば、被告が、昭和四六年分の自家消費額を、証人岡田繁儀の証言によって真正に成立したものと認められる乙第四二号証(昭和四七年茨城県統計年鑑」)の地域別家計支出(消費支出)により県北A地域(水戸市を含む。)の昭和四六年分の一人当たり月額食料費(二万八一五九円と認められる。)を基礎として算出したのは、適正な方法というべきであって、これによれば、昭和四六年分(二人分)の自家消費額は、被告主張のとおり、六七万五八一六円と認められる。

(四)  従業員消費額(飯米のみ)について

昭和四七年分の飯米の従業員消費量が年間一万八一〇〇合であること、飯米一キログラムは六・六六合であること、昭和四六年と四七年とでは、従業員数にほとんど変動がないことは後に認定するとおりであり、福田証言(第一回)及び弁論の全趣旨によれば、昭和四六年当時の飯米一キログラムの単価が一五二円であること、昭和四六年の飯米の従業員消費額に関する資料が存在しなかったことが認められる。なお、従業員が自由に、何回も食事をとっていたものでないことは、既に認定したところである。

右事実によれば、被告の、昭和四六年分の飯米の従業員消費額算出方法は合理的なものというべきであり、これによれば、飯米の従業員消費額は、被告主張のとおり、四一万二九八四円と認められる。

(五)  以上によれば、原告の昭和四六年分の収入原価は、被告主張のとおり、二〇六六万五二一二円(右(二)仕入金額合計から右(三)自家消費額及び右(四)従業員消費額((飯米のみ))を控除した額)と認められる。

2  収入金額について

被告が本訴において採用しているところの収入金額の算出方法は、要するに、水戸税務署管内において、一定条件(被告の主張二の1の(二)の(1)のイないしハ記載の条件)を満たす原告の同業者を悉皆的に収集し、収集された同業者(別紙別表1のAないしIの九業者。これら九業者が、水戸税務署管内における、右イないしハの条件を満たしている者のすべてであることは、成立に争いのない乙第一号証、第二号証の一ないし三により認められる。)のうちから、なお一般的に用いられているところの統計学的手法を用いて、B及びFの業者を排除し、残された、A、C、D、E、G、H、Iの七業者の収入割合(仕入金額を総収入金額で除したもの。)の平均値をもって、原告の収入割合とみなし、これに原告の収入原価(仕入金額)を乗ずることによって得られた金額を、原告の収入金額と推計する、というものである。

しかるところ、右の推計方法は、その基礎としている資料が正確であり、また、前記七業者を選定する過程には、被告の思惑や恣意の介在する余地のないことが明らかであるから、その結果得られたところの七業者の収入割合の平均値三四九・一九パーセントは客観的なものと認められる。問題となるのは、推計方法の選択の合理性であり、この点は、原告が、原告の仕入金額とほぼ類似する仕入金額を計上しているH業者の収入割合ないしはC、G、H、I業者の平均収入割合を採用すべきであるとし、あるいは、被告が本件各更正処分時に採用した同業者差益率を採用すべきであるとして、被告の推計方法の選択につき、非難しているところである。

そこでまず、H業者の収入割合を採用すべきであるとの主張について検討するに、たしかにAないしIの九業者のうちで、原告の仕入金額に最も近似した仕入金額を計上しているのはH業者である。しかしながら、仕入金額の最も近似したH業者の収入割合をもって原告の収入割合とすることに被告主張の方法よりも合理性があるとするためには、仕入金額と収入割合との間に、少くともある程度の関連性、たとえば、原告主張の如き、仕入金額が大きくなればなる程、収入割合は低くなるというような関連性が存在することが必要であるというべきである。

しかるに、前記乙第二号証の一ないし五によれば、仕入金額と収入割合との間に、原告主張のような関係が認められないことは明らかであり(例えば、昭和四六年分において、仕入金額の少い方から業者を挙げると、B、C、A、D、F、E、I、G、Hの順になるのに、収入割合の高い方から業者を挙げると、F、B、E、D、A、G、H、C、Iの順となり、両者の順位はほとんど一致していない。また最も仕入金額の大きいH業者よりも、収入割合の高い業者が二業者((C、I))存在する。)、そうすると、仕入金額が近似していることをもって、直ちに、H業者の収入割合を原告の収入割合として推計することはできす、H業者における、収入割合に影響を及ぼしているであろうところの他の諸要因について更に、原告との類似性を比較検討する必要があるといわなければならない。しかるに、前記二で認定したとおり、原告は、被告に対し、売上げに関する帳簿類等について一切提出しておらず、また後に認定するとおり、従業員に対する給料賃金についても、これに関する書類等を明らかにしなかったため、被告は、その実額をは握することができなかったものであるから、このような事情のもとにおいては、右のような検討は、十分になしえないものと認められる。

以上によれば、H業者の収入割合をもって、原告の収入割合であるとする推計方法は、被告主張の方法よりもより合理的なものとはいいがたい。

次に、原告はC、G、E、Iの四業者の平均収入割合をもって推計すべきであると主張するが、右は要するに九業者のうちから、収入割合の低い順に四業者を選択したものであって、到底、合理的なものとはいいがたい。

更に原告は、被告が本件各更正処分時において採用したところの同業者差益率を用いて、原告の収入金額を推計すべきである旨主張する。

たしかに、原本の存在及び成立に争いのない甲第一号証の二によれば、被告は、原告の昭和四六年分所得税の異議決定においては、本件事業店舗における売上品目及び値段をは握し、仕入原価と対比することによって差益率を求め、これに基づいて原告の収入金額を推計していることが認められ、また原本の存在及び成立に争いのない甲第三号証によれば、国税不服審判所長はその裁決において、水戸税務署管内の六業者の平均的と認められる差益率を用いて、原告の収入金額を推計していることが認められる。

しかしながら、推計の方法が合理的であるといいうるためには、その推計の基礎事実が確実であることを要するところ、右の、原告の各営業所における売上品目及び値段をは握し、仕入原価と対比して差益率を求める方法は、前記のように、原告が売上に関する帳簿類を一切提出していない以上、その基礎事実の確実さに疑問を生ぜざるをえないところであり、そうすると、右の方法が、被告が本訴において採用しているところの方法よりも、より合理性があるとは、いいがたい。

また、同業者の平均差益率を用いて推計する方法は、被告指摘のとおり、本件においては、結論を同じくするものであって、両者は、単に、収入原価を基礎とするか、仕入金額を基礎とするかの違いにすぎない。

以上要するに、原告主張の推計方法は、いずれも、その合理性を欠いているか、あるいは、推計のための資料を欠いている等のために、採用しえないものであり、他に被告主張の推計方法より優れていると認めるに足りる推計方法も見い出しがたい。そうすると、被告主張の推計方法は、その選択においても合理的であると認められる。

よって、被告主張の推計方法は合理的なものというべく、これによれば、原告の昭和四六年分の収入金額は、被告主張のとおり、七二一六万〇八五三円(前記収入原価二〇六六万五二一二円に右収入割合三四九・一九パーセントを乗じた額)となる。

3  通信費について

成立に争いのない乙第三九号証、福田証言(第一回)、証人岡田繁儀の証言によれば、原告は、昭和四六年当時、本件事業用として電話四回線を利用していたこと、原告は、昭和四六年分の右電話使用料に関する資料を全く保存していなかったこと、被告の水戸電報電話局に対する照会の結果(昭和五二年二月二二日付)によっても、昭和四六年の電話使用料については、資料が残っていなかったため不明であったこと、昭和四七年分についても四月から一二月までの九か月分についてのみ回答があったこと、原告方では、昭和四七年一二月から、電話回線を更に五回線に増やしているが、右は福徳総業にかかるものであって、原告の本件事業に係るものではないこと、昭和四六年と昭和四七年との間で、原告の本件事業に係る電話の使用料について、特段の変化をもたらすような事情は存在しなかったこと、以上の事実が認められる。右事実によれば、昭和四七年四月から一二月までの原告の本件事業に係る四回線の電話料の一か月当たりの平均使用料をもって、昭和四六年分における一か月当たりの平均使用料とみなし、これの一二倍の額をもって、昭和四六年分の本件事業に係る通信費とした被告の推計方法は、これを是認しうるものといわなければならない。

しかるところ、前掲乙第三九号証によれば、昭和四七年四月から一二月まで(九か月分)の右支払電話料は二八万二三七四円と認められるから、右推計方法によれば、昭和四六年分の通信費は、被告主張のとおり、三七万六五〇〇円と認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

4  給料賃金について

被告の採用した昭和四六年分の給料賃金の推計方法は、昭和四七年分の、現物給与を除く給料賃金の額に、「茨城県統計年鑑」に基づくところの、茨城県における事業規模三〇人未満の企業について算出した、昭和四七年の平均月額定期給与額に対する昭和四六年分のそれに対する割合を乗じて得られた額に、現物給与と認められる飯米のみの従業員消費額及び飯米を除く従業員消費額を加算するというものであるところ、後記四の4の(一)のとおり、右推計は、昭和四七年分の給料賃金の推計が合理性を欠くので、給料賃金に関する限り合理性を欠くが、前記認定のとおり、原告方従業員は、本件事業の店舗において食事をとっており、そのうち総菜の仕入に関する領収証等は他の領収証等とは別個にまとまったまま、原告提出の書類等に含まれていたことに鑑みると、現物給与に関する限り合理的なものとして是認しうる。そして、後記四の4の(三)において認定するとおり、昭和四六年分の現物給与を除く給料賃金の額は一六二七万二二七二円であり、前記認定のとおり、昭和四六年の飯米のみの従業員消費額は四一万二九八四円である。

そこで、飯米以外の総菜についての従業員消費額について検討するに、前掲乙第四五号証の一ないし七、福田証言(第一、二回)及び同証言(第二回)により真正に成立したと認められる乙第六二号証の一によれば、昭和四六年分の右総菜の購入に関する領収証等の資料は、一月、三月、五月、一一月、一二月の五か月分しか存在しなかったこと、その合計額は三二万八六一八円であったことが認められる。しかるところ、昭和四六年における原告方従業員の毎月の消費額に特段の変動をもたらすような事情は、本件全証拠によっても窺うことができないから、被告が、右五か月分の一をもって昭和四六年の一月当たりの平均消費額であるとし、その一二倍の額をもって昭和四六年の飯米を除く従業員消費額とした被告の推計方法は合理的なものと是認でき、右によれば、右昭和四六年分の飯米を除く従業員消費額は被告主張のとおり、七八万八六七六円となる。

以上によれば、昭和四六年中に従業員に支払った現物給与を含む給料賃金額は、左のとおり一七四七万三九三二円となる。

16,272,272円+412,984円+788,676=17,473,932円

5  支払利息について

被告の主張(二・4)する合計三六九万三二三一円が昭和四六年中に支払った利息として必要経費に算入されることは当事者間に争いがない。

これに対し、原告は、原告主張の支払利息表記載の利息(ただし、昭和四六年分)もまた、必要経費に該当する旨主張するが、これが必要経費に該当するものといえないことは、後に判示するとおりである。

6  以上によれば、原告の昭和四六年分の本件事業に係る所得金額は、次表おとおり、一三七九万二四七七円となる。

<省略>

四  次に、昭和四七年分の所得金額について検討するに、被告主張の同年分の総所得金額の算出内訳のうち、昭和四七年分総所得内訳表の順号<4>、<5>、<7>ないし<16>、<19>、<22>ないし<24>、<26>、<28>については、いずれも被告主張額のとおりであることは、当事者間に争いがない。そこで、以下においては、争いのある順号<1>の収入金額、同<2>の収入原価、同<6>の通信費、同<20>の給料賃金、同<21>の支払利息につき、順次検討する。

1  収入原価について

(一)  被告の、昭和四七年分の収入原価の算出方法は、昭和四六年分のそれの算出方法と同じであり、右方法が十分合理的であることは、既に判示したところである。

(二)  仕入金額について

昭和四七年分仕入内訳表のうち、順号<1>ないし<9>、<11>、<12>、<14>、<15>、<17>、<18>については、その仕入先及び仕入金額とも、当事者間に争いがない。

そこで、順号<10>、<13>、<16>について検討するに、福田証言(第一回)及び前掲乙第二七ないし第第三四号証によれば、被告主張の、昭和四七年分仕入内訳表の(注)の(一)の事実を認めることができる。右事実によれば、被告が右(注)の(二)の方法及び計算式により仕入額を推計したのは合理的な方法と是認でき、これによれば、順号<10>、<13>、<16>についても、被告主張のとおりと認められる。

したがって、昭和四七年分の仕入金額は、被告主張のとおり、合計二三五一万五六〇五円と認められる。

(三)  自家消費額について

昭和四七年当時、原告と同居する親族が長女の許清任のみであったこと、及び原告と許清任の両名は、三食とも営業のための仕入にかかる材料により食事をとっていたことは既に判示したところであり、かつまた、昭和四七年分についても、原告が自家消費額に関する資料を全く保存していなかったことは弁論の全趣旨により認められる。

右事実によれば、被告が、昭和四六年分の自家消費額の推計と同様の方法により、証人岡田繁儀の証言により真正に成立したものと認められる乙第四三号証(「昭和四八年茨城県統計年鑑」。これによれば、水戸市を含む地域の昭和四七年分の一人当たりの食料費(一か月分)が二万八六〇三円と認められる。)に基づいて原告の自家消費額を推計したのは、合理的なものとして是認でき、その結果、昭和四七年分(二人分)の自家消費額が六八万六四七二円となることは、計数上明らかである。

(四)  従業員消費額(飯米のみ)について

前掲乙第二二号証、第六二号証の一、福田証言(第一、二回)及び同証言(第一回)によって真正に成立したものと認められる乙第四一号証、証人大内勉の証言及び同証言によって真正に成立したものと認められる乙第四〇号証、によれば、福田係官が本件各更正処分の調査のために、原告方に赴いた際、原告と一緒に応対した原告方事務員は、「米の消費量は従業員一人一食で一合位食べるから、従業員全体で一日五〇合の消費となり、また年間の事業日数は三六二日である。」旨説明していたこと、一般に米一俵の重量は六〇キログラム、容量は四〇〇合といわれており、これによれば、米一キログラム当たりの容量は六・六六合となること、昭和四七年のパレス店における飯米の一キログラム当たりの平均仕入単価は一五五円であること(米の一キログラム当たりの価額は、昭和四七年一〇月から、それまで一五二円であったのが一六五円に値上げされた。)以上の事実が認められ、これによれば、被告の、従業員消費額(飯米のみ)の算出方法は合理的なものとして、是認することができ、右によれば、昭和四七年分の従業員消費額(飯米のみ)が四二万一一三五円となることは計数上明らかである。

(五)  以上によれば、昭和四七年分の原告の収入原価は、被告主張のとおり、二三五一万五六〇五円(右(二)仕入金額合計から右(三)自家消費額及び右(四)従業員消費額((飯米のみ))を控除した額)となる。

2  収入金額について

昭和四七年分の収入金額の算出方法は、昭和四六年分と同一であり、合理的な方法として是認できる。

そして、前掲乙第一号証、第二号証の一、成立に争いのない乙第二号証の四、五によれば、昭和四七年において、前記被告の主張二の1の(二)の(1)のイないしハの条件を満たす水戸税務署管内の同業者は、別表3のAないしKの一一業者であり、各業者の総収入金額、仕入金額、収入割合は同表3のとおりであると認められるところ、右を基に、昭和四六年分と同様の統計的手法を用いて平均収入割合を求めると別表4のとおり、三九三・二四パーセントとなることが計数上明らかである。

したがって、原告の昭和四七年分の収入金額は、被告主張のとおり、九二四七万二七六五円(前記収入原価二三五一万五六〇五円に右収入割合三九三・二四パーセントを乗じた額)と認められる。

3  通信費について

前掲乙第三九号証、福田証言(第一回)、証人岡田繁儀の証言によれば、原告は、昭和四七年分の通信費に関する資料を全く保存していなかったこと、被告の水戸電報電話局に対する照会の結果によっても、昭和四七年分の電話使用料につき、四月から一二月までの九か月分(計二八万二三七四円)についてのみ回答があったこと、原告方では、昭和四七年一二月から電話回線を四回線から五回線に増やしているが、右は後記福徳総業に係るものであって、原告の本件事業に係るものではないこと、以上の事実が認められる。右事実によれば、昭和四七年四月から同年一二月までの、原告の本件事業に係る四回線の合計支払電話料金に、右九か月の月平均支払電話料の三か月分を加えた額をもって、昭和四七年の通信費とする被告の算出方法は是認することができ、右によれば原告の昭和四七年分の通信費は、被告主張のとおり三七万六四九九円となることが計数上明らかである。

4  給料賃金について

(一)  証人伊藤知子の証言及び同証言によって真正に成立したものと認められる乙第四六号証の一ないし一二によれば、原告方従業員である伊藤知子及び堀江(あるいは堀井)武之の作成にかかる昭和四七年分給料明細書(乙第四六号証の一ないし一二)の書面上は、昭和四七年一月から一二月までの間に、原告が、本件事業にかかる従業員に支給した賃金合計額は七三四万五二一六円とされていることが認められ、また証人藤田鷹子の証言及び前掲乙第四〇号証によれば、原告方従業員である藤田鷹子の作成にかかる昭和四八年二月分給料明細書の書面上は、昭和四八年二月に原告が本件事業に係る従業員に支給した賃金の合計額は三三万三七九六円とされていることが認められる。

そして、証人藤田鷹子の証言及び同証言により真正に成立したものと認められる乙第五六号証、証人根本利晴の証言及び同証言によって真正に成立したものと認められる乙第五四号証の一ないし三によれば、昭和四七年分給料明細書(乙第四六号証の一ないし一二)と昭和四八年二月分給料明細書(乙第四〇号証)は、昭和四九年九月ころ、昭和四八年の他の月分の給料明細書及び昭和四八年分賞与明細書と一緒に、右藤田から水戸税務署の源泉担当係官の根本係官に提出されたこと、昭和四七年八月から一二月までの給料明細書(乙第四六号証の八ないし一二)を作成した堀江武之は、藤田鷹子が原告方従業員となった昭和四八年一〇月の数か月後に原告方を退職しており、藤田鷹子が乙第四〇号証を含む昭和四八年分の給料明細書を作成した昭和四九年九月ころには原告方従業員ではなかったこと、したがって、藤田鷹子が乙第四〇号証を含む昭和四八年分の給料明細書を作成した昭和四九年九月ころには、既に、昭和四七年分の給料明細書(乙第四六号証の一ないし一二)は作成ずみであったこと、藤田鷹子は昭和四九年九月ころになって、昭和四八年分の給料明細書を作成したのであるが、作成の際、昭和四八年当時のタイムカードと右昭和四七年分の給料明細書(乙第四六号証の一ないし一二)とを資料としたこと(この事実は、乙第四六号証の一二((昭和四七年一二月分給料明細書))と乙第四〇号証((昭和四八年二月分給料明細書))とを比較すると、両者に記載されている従業員の氏名、その記載順序及び基本給が、最後の数名((乙第四六号証の一二にあっては四名、乙第四〇号証にあっては六名))を除いて全く同一であることから推認される。)、藤田鷹子が勤務していた当時(昭和四八年一〇月ころから昭和五〇年一〇月ころまで)の本件事業に係る原告方従業員数は二二、三名であったこと、原告が、昭和四九年六月六日に水戸税務署に提出したところの昭和四七年分の従業員の給料賃金に係る源泉所得税についての所得税徴収高計算書(乙第五四号証の一)には、昭和四七年一月から一二月までの間に原告が雇傭していた従業員の延人員は二〇四人であり、これら従業員に支払った給料賃金の合計額は七二九万八二一六円である旨の記載がなされているところ、右延人員は昭和四七年分の給料明細書(乙第四六号証の一ないし一二)に記載されている従業員の延人員と一致し、また給料賃金の合計額もほとんど一致する(乙第四六号証の一ないし一二による合計額は前記のとおり七三四万五二一六円であり、その差はわずか四万七〇〇〇円である。)こと、原告は、水戸税務署源泉担当係官が、右昭和四七年分(乙第四六号証の一ないし一二)及び昭和四八年分(乙第四〇号証はその一部)の給料明細書に基づいて算出したところの昭和四七年分及び昭和四八年分の源泉所得税額を是認し、これを納付していること、以上の事実が認められ、右認定に反する証人伊藤知子、同許清任、原告本人の各供述部分は措信することができない。また、証人大内勉は、「昭和四九年一〇月ころ、昭和四八年分の給料明細書が既に源泉所得税の係の方に提出されていたので、昭和四六、四七年分の給料明細書についても提出方を依頼したところ、後日、昭和四七年分(乙第四六号証の一ないし一二)のみ提出された。」旨供述しているが、前掲各証拠と明らかに矛盾するので信用することができない。

右認定の事実によれば、被告が乙第四六号証の一ないし一二を基に原告の昭和四七年分の給料賃金額を推計したことには、それなりの理由があったものということができる。

しかしながら、原告は、「乙第四六号証の一ないし一二及び乙第四〇号証は社会保険事務所に提出するために作成したものであるから従業員数は実際よりも少数であり、かつ支払額も社会保険料の負担をできるだけ軽くするため実際よりも低額にしたものである。」と主張し、証人伊藤知子、同許清任もその旨供述している。

たしかに、乙第四六号証の一ないし一二は、社会保険事務所へ提出されるために作成されたものである可能性を否定することはできず(これに対し、乙第四〇号証は、社会保険事務所でなく、水戸税務署の源泉担当係官へ提出するために作成されたものであることは証人藤田鷹子の証言によって明らかである。)、そうであるとすれば、従業員数、給料支払額について実際よりも少数、低額とされている可能性も否定できないところである。たとえば、本件事業に係る従業員数について、証人藤田鷹子は、昭和四八年一〇月ないし昭和五〇年一〇月ころ、二二、三名であったと証言し、証人北澤福一の証言によって真正に成立したと認められる乙第五七号証によれば、菊地節子は、昭和四七年当時二七ないし三一名の従業員(うちパートが一〇名ないし一四名)がいた旨述べているところ、右両名は、いずれも第三者であるから、その供述の信用性は高いと思われ、したがって、昭和四七年当時の原告の従業員数は三〇名弱と推認するのが妥当である。しかるに、乙第四六号証の一ないし一二によれば、従業員数は多いときで二〇名、少いときでは一四名であり、かつ、その中には、明らかにパートと思われる従業員も含まれている。また、証人許清任の証言や原告本人尋問の結果によっても、原告方従業員に残業手当や賞与が支給されていたことは明らかであるが、乙第四六号証の一ないし一二には、それらについて、全く記載がされていない、さらにまた、乙第四六号証の八ないし一二を作成した堀江武之の氏名さえも従業員として載っていない(被告は、原告の指摘した住所地((証人許清任の証言によって成立が認められる甲第五号証))に堀江(堀井)の住民票が移動していた形跡がなかった((成立に争いのない乙第五八号証の一、第五九号証の一一))ことをもって、堀江という従業員がいたこと自体に疑問を呈しているが、藤田鷹子の証言によっても、堀江が存在していたことは明らかというべきである。)。これらの事実を考慮すると、乙第四六号証の一ないし一二が昭和四七年当時の原告の給料賃金(基本給)の支払額を正確に記載したものであるとすることについては、重大な疑問があるといわざるをえず、これらが残業手当、賞与を除く支払額の記載されたものであると想定しても、なお右の疑問は解消しないというべきである。そうすると、これらの記載を基にして残業手当等を加算する方法によった被告の給料賃金額の推計は、結局、合理的なものと認めることはできない。

(二)  これに対し、原告は、甲第四号証の一ないし五二をもって、真の給料明細書であり、給料賃金額は、右に基づいて算出されるべきである旨主張する。

しかしながら、まず何よりも、証人伊藤知子の証言によれば、右甲第四号証は人の目に触れないように保管していたが、事務を担当している者(伊藤知子、許清任も含まれる。)はその保管場所を当然知っているはずであるというにもかかわらず、本訴提起に至るまでの経緯において、その提出を求められていたのに、これに応ずることなく、本訴に至って卒然と提出されたものである点に重大な疑念が存するのみならず、その内容においても、従業員数が、前記菊地節子の供述に係る人数よりもはるかに多数になっていること、中根信子なる人物には、昭和四七年七月分の給料が重複して支給されている旨の記載があること、甲第四号証の三の書面にのみ「パレス」、「給料」、「残業」、「交通」、「前渡」、「食費」のゴム印が使用されていること、等の重大な疑問点が存在する。

してみると甲第四号証の一ないし五二は全体としてこれを措信することができず、したがって甲第四号証の一ないし五二の記載を根拠に、原告の本件事業の従業員に対する給料賃金を算出することはできないものといわなければならない。

(三)  そうすると、結局、被告提出の乙第四六号証の一ないし一二も、原告提出の甲第四号証の一ないし五二も、原告の給料賃金支払額の算出の根拠とすることはできないものであり、他にこれを算出するための根拠とすることができる資料は乙第六四号証の一ないし三(この成立については当事者間に争いがない。)の、被告調査に係る「同業者給料賃金調査表」以外にない。もっとも、乙第六四号証の一ないし三に基づく推計方法は、被告が明確に主張しているところではないが、原告は、被告の推計方法の非合理性を根拠づけるためとはいえ、これを主張援用しているから、乙第六四号証の一ないし三に基づく推計方法を援用することは、それが合理的方法である限り許されるものと解される。

しかるところ、前記認定のとおり、同業者の選出過程に被告の思惑や恣意の介在する余地はなく、その結果得られたところの、同業者の総収入金額に占める給料賃金の割合の平均値(昭和四六年分は二二・五五パーセント、昭和四七年分は二三・八二パーセント)は客観的なものと認められるから、右のように、給料賃金額算出の根拠とすべき資料が他に全く存しない本件においては、右の平均値をもって原告の昭和四六、四七年分の収入金額に占める給料賃金額(現物給与を除く)とする推計方法は合理的な方法というべきである。

しかして、右推計方法によれば、既に認定したとおり、原告の昭和四六年分の収入金額は七二一六万〇八五三円、昭和四七年分の収入金額は九二四七万二七六五円であるから、右両年分の給料賃金額(現物給与を除く。)は以下のとおり、それぞれ、一六二七万二二七二円、二二〇二万七〇一二円となる。

(昭和46年分)

72,160,853円×0・2255=16,272,272円

(昭和47年分)

92,472,765円×0・2382=22,027,012円

(四)  次に現物給与について検討するに、飯米の従業員消費額は既に認定したとおり四二万一一三五円である。そこで飯米以外の総菜について検討するに、前掲乙第四五号証の七ないし一二、第六二号証の一、福田証言(第一、二回)によれば昭和四七年分の右総菜の購入に関する領収証等の資料は一月、二月、四月、七月、八月、一〇月の六か月分しか存在しなかったこと、その合計額は五七万一一八一円であったことが認められる。そうすると、昭和四六年分についてと同様の方法に係る被告の推計方法は合理的なものと是認でき、右によれば、昭和四七年分の飯米を除く従業員消費額は、被告主張のとおり、一一四万二三五二円となる。

(五)  よって、昭和四七年分の現物給与を含む給料賃金は次のとおり、二三五九万〇四九九円となる。

22,027,012円+421,135円+1,142,352円=23,590,499円

5  支払利息について

被告の主張(三の4)する合計二八〇万八五六三円が昭和四七年中に支払った利息として必要経費に算入されることは当事者間に争いがない。

ところで原告は、右のほか、「原告主張の支払利息表」のとおり支払利息が存在し(これが存在すること自体は当事者間に争いがない。)、これもそれぞれ昭和四六年分、昭和四七年分の必要経費に算入されるべきである旨主張する。

しかしながら、当該支払利息が必要経費に該当するか否かは、当該支払利息に係る借入金が、本件事業のために必要なものであったか否かによって決せられるべきものであるところ、右の点の主張立証は、現実に当該借り入れを行ない、これを消費した原告が、被告よりも格段に容易になしうることは明らかであるというべきであり、そうだとするならば、必要経費に算入されるべき一定の支払利息の存在を認めている本件においては、まず原告において、右を超える支払利息について、これが必要経費に該当するものであることをある程度合理的に推測させるに足りる具体的な主張立証を行なうべきであり、これがない限り、当該支払利息は必要経費には該当しないとの事実上の推定が働くものというべきである。

しかるに原告は、「原告主張の支払利息表」の借入金のうち、順号<1>について、営業資金として借入したものであると主張するがそれ以上に何ら具体的な主張立証はなく、その余の借入については何らの主張立証もない(もっとも、原告は、順号<2>、<3>、<5>、<6>、<7>、<8>の借入金は福徳総業のための借入金であるとの被告の主張に対し、これを認めたうえで、なお本件事業の経費に算入すべきである旨主張するかのようである。しかし被告の主張によれば順号<5>の借入金は、福徳開発の出資金に当てられたというのであるから、いかなる意味においても、その支払利息が本件事業の必要経費に当たることはなく、また成立に争いのない乙第五〇号証の一及び二並びに原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和四六年一月一九日に福徳開発を設立し、福徳開発は昭和四八年六月二日に福徳観光株式会社に、福徳観光株式会社は同月三〇日に福徳総業株式会社にそれぞれ商号変更しているのであるから、仮に、原告が、右福徳総業に係る支払利息を福徳総業の必要経費として申告していなかったとしても、これによって、右支払利息が、原告個人の本件事業の必要経費になるものではないことは明らかといわなければならない。)。

6  以上によれば、原告の昭和四七年分の本件事業に係る所得金額及び給与所得金額の合計額(総所得金額)は次表のとおり二三八四万四七七八円となる。

<省略>

五  右に認定したとおり、原告の昭和四六、四七年分の各総所得金額はそれぞれ一三七九万二四七七円、二三八四万四七七八円となるところ、右はいずれも、被告が本件各更正処分において認定したところの八六九万六六六七円、七六八万三一四六円を上回っていることが明らかである。

したがって、本件各更正処分はいずれも適法なものと認められる。

六  前記一のとおり、原告が、被告に対し、昭和四六年分、昭和四七年分の総所得金額をそれぞれ一六四万円、一六四万三〇〇〇円として確定申告していたことは当事者間に争いがない。これに対し、被告が原告に対し昭和四六年分、昭和四七年分の各総所得金額をそれぞれ八六九万六六六七円、七六八万三一四六円としてなされた本件各更正処分が適法であることは、右説示のとおりである。そうすると、右各数額を基礎に過少申告加算税額について国税通則法六五条に則ってなされたところの本件各賦課決定処分は適法なものと認められる。

七  よって、原告の本訴請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 龍前三郎 裁判官 大橋寛明 裁判官 大澤廣)

別表1

同業者調査表

<省略>

別表2

同業者の平均収入割合の計算

<省略>

別表3

同業者調査表

<省略>

別表4

同業者の平均収入割合の計算

<省略>

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